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森の生活 

2013年12月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 

 

 

 
最初の夏は本を読まなかった。マメ畑の草取りをしていたから。いや、それ以上によいことをしてすごすことが多かった。頭の仕事にしろ、手の仕事にしろ、花ひらく現在の瞬間を仕事のために犠牲にしたくはないと、たびたび思ったものだ。私は生活に広い余白を残しておきたいのだ。夏の朝など、いつものように水浴をすませると、よく日当たりのいい戸口に座り、マツやヒッコリーやウルシの木に囲まれて、かき乱すものとてない孤独と静寂にひたりながら、日の出から昼ごろまで、うっとりと夢想にふけった。あたりでは鳥が歌い、家のなかをはばたきの音も立てずに通り抜けていった。やがて西側の窓にさしこむ日ざしや、遠くの街道をゆく旅人の馬車のひびきでふとわれに返り、時間の経過に気づくのだった。こうした季節に、私は夜のトウモロコシのように成長し、どんな手の仕事をするよりもはるかによい時間をすごしていたのである。あれは私の生活から差し引かれた時間などではなく、むしろその分だけふだんよりも多く割り当てられた時間だった。私は東洋人の言う瞑想とか、無為という言葉を悟った。たいていの場合、時間がすぎていくことなど少しも気にならなかった。一日の時間がたつにつれて、かえって仕事の量が減っていくような気さえした。朝がきたかと思うと、たちまち夕べになっている。これといった仕事はなにひとつやりとげていない。私は鳥のように歌いこそしなかったが、自分のとぎれることのない幸運に無言でほほえんだ。戸口の前のヒッコリーに止まったスズメがさえずるように、私はひとりでくすくす笑ったり、声を押し殺して歌ったりしたが、私の巣のなかから洩れるこうしたさえずりを、あのスズメも聞いていたことだろう。私の毎日は、異教の神々の名を冠せられている週の何曜日といったものとは関係なかったし、また、一時間ごとに切り刻まれることも、時計のカチカチという音に悩まされることもなかった。私はプリ・インディアンのように生きていたからだ。この部族は、「昨日、今日、明日をただ一語であらわし、昨日に対してはうしろ、明日に対しては前、今日に対しては真上を指すことによって、意味のちがいを表現する」といわれている。こんな生活は、わが町の同胞諸君にとっては、疑いもなく怠惰のきわみであった。けれども、もし鳥や花たちが彼らの基準で判断してくれたなら、私は失格とはならなかっただろう。人間は自分の内部に生活の根拠をもたなくてはならないといわれるが、そのとおりである。自然の一日はとてもおだやかにすぎてゆくものだから、人間の怠惰をとがめ立てたりはしないであろう。
楽しみをそとの世界に求めて、社交界や劇場におもむくひとびとに比べると、私の暮らし方には少なくともひとつの強みがあった。つまり、自分の暮らしそのものが楽しみであり、いつも新鮮さを失わなかったことだ。それはつぎつぎと場面が変わる、終わりのないドラマのようなものだった。もしわれわれが、つねにしっかりと生計を立て、自分が学んできたなかでも最終的にいちばんよいと考える方法で生活を規制してゆくならば、決して怠惰感に悩まされることはないだろう。自己の天分になるべく忠実に生きてゆくならば、刻一刻と新しい展望がひらけてくるはずだ。
 
 
ここまで、先日、少し話した本「森の生活」のある部分を紹介したが、人間は健康でありさえすれば、自然の中で静かに一人でも生活できるかもしれない。この文章はまだまだ続くのであるが、珍しくするすると読み進んでいった。私の80歳からの老後の生活は、まったくこのようにはならないだろうが、現在でもほんの少し共感の持てる響きを感じている。ただ、私が彼と違うのはどちらかの手にポリフェノールをもっていることだろうか。
80歳に向けて出発した2013年もいよいよ最後の月を迎えた。たくさんのよい思い出を作ったこの年の最後をいつものように笑って過ごそうと考えているが、はたして森の神はほほえんでくれるだろうか。師走はゆっくりと動き始めている。
 
 
 
 
 
 

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