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女遊びも無駄遣いもしなかった山口「八つ墓村」事件の容疑者 

2013年07月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


山口県周南市で起こった連続放火殺人事件は、5人が殴り殺されている。11世
帯が暮らす小さな山あいの集落で、4世帯5人の遺体が見つかったのだ。逮捕さ
れたのは、同じ集落の無職、保見光成(ほみ・こうせい)容疑者(63)。

この事件は、横溝正史の推理小説「八つ墓村」のモデルになった岡山の「津山事件」
(1938年)に似ている。どちらも中国地方の山あいの、小さな集落で起きた惨劇で
ある。

但し、津山事件は犯人の都井睦雄(とい むつお)は2時間足らずで30名を殺して、
本人はその後、自殺している。この事件は、松本清張が書いた「ミステリーの系譜」
というノンフィクションに詳しく書かれている。
(津山事件のほかに別の事件が2編、治められている。)

津山事件の事を書いた、「闇に駆ける猟銃」というタイトルの文章は、読んでいる
うちに、じわじわと恐ろしさが心に染みてきて、一生忘れられなくなった作品。
松本清張の、ミステリー作家とは別の面での凄さを発見できる。

                      ※

ところで、この山口県の事件は7月21日夜から22日にかけて発生。
集落に住む貞森誠さん(71)方と、約60メートル離れた山本ミヤ子さん(79)方
から相次ぎ出火し、焼け跡から3人の遺体が発見された。
さらに同じ集落の河村聡子さん(73)と、近くの石村文人さん(80)が、それぞれ
自宅で遺体で見つかった。2人とも頭部に鈍器で殴られたような傷が残っていたと
いう。

保見光成(63)が、「5人を同じ木の棒で殴って殺した」と供述している。
保見が身柄を確保された山中の現場近くで、木の棒が発見されていたことも新た
に判明した。
5人はいずれも頭部を鈍器のようなもので殴打されて死亡しており、県警は木の
棒を鑑定し、供述内容の裏付けを進めている。

保見光成が二十数年前、川崎市でタイル工などをしていた当時の知人らが夕刊
フジの取材に応じた。
保見は、中学卒業後の15歳で上京し、1994年の帰郷直前まで、川崎市で過ご
していた。男性は友人の紹介で同容疑者と知り合った。

当時、保見は名前を光成ではなく中(わたる)と名乗っていたという。「自己紹介する
とき、マージャン牌の『中』にひっかけて『どうもチュンです』なんて言ってた。見た
目はいかついけど根はいいやつだった」と男性は振り返った。

JR南武線稲田堤駅から北西に約1キロメートル離れた住宅街にある2階建てア
パートで1人暮らしをしていた保見。付近の工務店でタイル工としてしばらく働き、
独立開業した同僚の会社に合流する。当時、仕事上のパートナーとなった元同僚
はこう話す。

「6〜7年付き合ったけど、女遊びも、無駄遣いもしなかった。金はかなりためてた
みたい。仕事の腕も良かった」
「妙なこだわりがある男でね。昼夜問わずサングラスを掛けっぱなしにしていた。
もともとはっきりモノを言うタイプだったけれど、酒が入ると理屈っぽくなる。そのせ
いか、酒の席でケンカになることがよくあった」(元同僚)

自家用車に並々ならぬ愛情を注ぐ保見の姿も覚えている。
「車には相当金をかけていた。改造した四輪駆動車に乗っていて、ホコリひとつな
いぐらいに磨き上げていた」。愛車には、携帯電話が普及していない当時にしては
珍しく、車載電話を設置していた。

先の男性は「親の介護のために帰郷するぐらいだから、悪いやつじゃない。こっち
にいるときも、いじめられた仲間をかばったり、正義感のあるやつだった。ただ、思い
通りにいかないとヘソを曲げることもあった」と語り、こう続ける。

「あいつが故郷に帰る前日に『明日田舎に帰るから今晩飲みませんか』と誘われた
んだ。でも、どうしても都合が悪くて断った。そしたら次の日、『気をつけて帰れよ』っ
て声を掛けたのに知らん顔しやがった。そういう所があるんだよな」
彼の心に抱えた闇の解明はこれからになりそうだ。

参照:山口「八つ墓村」容疑者に衝撃証言 夜でもグラサン、マイカー偏愛…

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