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龍山八幡神社 吉川元春再建の神社 北広島町 

2013年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

            龍山八幡神社 
 
正和二年(1313)吉川氏が大朝本庄地頭として入封のおり、駿河国吉川村(現静岡県清水市)から勧請した神社で、現在の本殿は、1558(永禄元)年吉川元春が再建したものです。
本殿は広島県下では厳島神社につぐ室町時代の数少ない神社建造物で、三間社芸備造り、屋根は流れ造り銅板葺きの建築様式です。
 
昭和三十七年(1962)国重要文化財に指定されました。
 
重文としての本殿の特色は、その彫刻にあり、正面3個のかえる股は、室町時代後期の代表的なものです。
 

 

 
 
拝殿前の狛犬  大正八年   阿は口中玉
 


 

 左から拝殿     吉川興経を祀る光大明神社
小さな小屋は神馬舎

  拝殿 側面は雪害防止のシートで覆われています


 


               拝殿額
 

木鼻
玉眼入りで細密な仕上げ

 

                         虹梁

本殿
周囲を木に囲まれているので全容が撮れません



  室町期の蟇股も雪覆いの為、撮りにくい





 

 
背面

神馬舎
 
 
 
 

 
 
 
             
           光大明神社
毛利元就の謀略により吉川家を乗っ取られ、暗殺された吉川興経を祀る
 
元亀四年(1573)吉川興経の霊社として、
吉川元春・元長父子によって創建されました。
          光大明神社 拝殿

 
吉川興経は大永二年(1522)、吉川家家督を継ぎ
祖父国経の後見をうけました。
尼子氏の郡山城攻め失敗を機に離反。
大内氏の出雲遠征に従ったが、再び尼子氏に通じた。
 
吉川氏の家臣団は興経の叔母が毛利元就の妻(妙玖)という縁故から、従弟で元就の次男元春を養子に迎えて吉川氏の家督を継がせました。
 
後に叔父毛利元就のとりなしで大内氏に帰参。
天文十六年(1547)安芸深川(広島県上深川町)に
強制的に隠退させられました。
 
しかしまた尼子氏に通じたかどで元就によって実子千法師ともども謀殺されました。
        
           光大明神社  本殿  

 

 


 

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