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人生のアルバトロス 

2013年04月14日 外部ブログ記事
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2013年マスターズ・トーナメントは、アメリカ・ジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開催されているが、日本人として唯一人予選通過を果たした石川遼は、決勝ラウンドに入っても4オーバーと振るわず56位タイと低迷している。
 
ところで、ゴルフの競技は、そのホールの標準打数をパーと言うが、1903年米国のアマチュア選手がそれまで誰も破ることができなかったロングホール(パー5)で1打少ない4を達成した。一緒にいた仲間は、打ったボールがまるで小鳥が飛んでいるように見えたので、おもわず「ザッツ・ア・バード」と叫んだ。この「鳥のように」飛んだ話しがひろまり、やがてパーより1つ少ないスコアを「バーディー」と呼ぶようになった。その後、さらにパーより2つ少ないスコアが出て、これは小鳥(バーディー)より強いという意味で「イーグル(鷲)」となり、そして、1921年英米アマチュア国際対抗試合で、ボビー・ジョーンズ(米)が、ついにパーより3つ少ない前代未聞のスコアを出した。その時の敗者側のシリル・トレイ(英)は、羽ばたくことなく何時間も洋上を飛翔する海の女王の美しい姿に、ボールの飛距離とウルトラ・ショットをかさねて、パーより3つ少ない栄光のスコアを「アルバトロス」と名付けた。
アルバトロスは属名ディオメディア。ギリシャ伝説の英雄の名に由来し、死後、南イタリア沖の小島に葬られ海鳥になったと信じられていた。
 
アルバトロスは、ゴルファーにとって栄誉ある称号に違いないが、アルバトロスの和名が「アホウドリ」というのもまた皮肉な話しである。マスターズでは1935年にジーン・サラゼンが、4日目15番パー5で、1967年にブルース・デブリンが1日目8番パー5、1994年ジェフ・マガートが4日目13番パー5、2012年ルイ・ウーストハイゼンが4日目2番パー5で達成している。
日本でも多くのプロゴルファーが栄誉あるアルバトロスを達成しているが、中でも中嶋常幸が1988年5月1日中日クラウンズ2日目で達成したアルバトロスは、1番パー4だった。パー4でのアルバトロスはこの1例のみという。
 
私もゴルフが大好きで、長い間その競技を楽しんできたが、長いゴルフ暦にもかかわらずバーディーこそあれイーグルの経験はない。しかし、何事も長い経験の中では思わぬことが起きるものである。日付も場所も覚えていないが、ミドルホールのセカンドショットが一世一代のナイスショットとなり、グリーン上でみごとなバックスピンがかかりホールすれすれで止まったことがある。ゴルフにつきもののタラレバの話しであるが、もしももうひところがりして入っていれば、生涯の自慢話となっていたに違いない。思えばそのころは、これがゴルフだ、ゴルフが分かった、と思えるほどナイスショットを連発していた。しかし、それも長くは続かず、その後はがっくりとしょげかえる日が続いたのだった。
 
人はみなスポーツにかかわらず仕事でも、また人生でも今が絶好調というときがあるものだが、それが何時だったかは、その後長い時間を経過して分かることが多い。今、過去を振り返ってみるとあのころが絶好調だったかな、と思われる時期を思い出すが、それもやはり短い期間であった。人生におけるアルバトロスは、起死快勝の一発ではなく、ゆっくりと長く持続する喜びある生活に違いない。私は、今現在の生活がわが人生のアホウドリのような気がしている。浅間高原の大自然に抱かれながら静かにゆっくりと生きる。アホウドリの着陸地点はまだまだ遠い。
 
 

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