メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

教職員集団の人間関係!(その1) 若き日は“破天荒”職場だった 

2012年07月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

   前号の続きです。      教職員集団の人間関係!         (その一) 若かりし頃“破天荒”な職場だった・・・        イジメ克服への道前号で、教師の眼、の大切さを提起しましたが、それでは、学校教職員の職場の状況は、どうだったか?今は、どうか・・・?!  私の40余年の経験した限りでもの申しますと、教員の世界は、お互いに「先生」「先生」と呼び合う風潮が強くて、相互批判や育て合いが少ない!という印象をもっています。それでも・・・、私の若い頃は・・・?!警察官の時は、上司や先輩から怒鳴られたり、指摘されることはしばしば・・・その時は、クソ腹が立つ!と同期生に愚痴をこぼして過ごすことが多かったのですが、それでも、後から、叱られて“為”になった!自分自身、成長できた!と思っています。だから、私自身、後輩や同期生、時には先輩・上司にまで、喰ってかかって、もの申す、こと、しばしば・・・! 警察の職場では、お互いがお互いのことに関心を持つ“お節介”な風潮が充満していました。よく飲んだし、喰っちゃべった!24時間勤務が終わった、非番の朝、警察署の近くの喫茶店で、同僚と、よくダベッタものです。一身上のことから、恋愛相談まで・・・1969(昭和44)年から、高校教師になり、それでも、当時は、先輩・後輩の結びつきが強かった!その頃は、教職員組合も強く、組織率も高く、組合の研修会や合宿で、喧々囂々、教育論などを闘わせた。また、当時、「学校当直制」があって、先輩が、学校で“泊まりの日”に、酒もって訪れ、宿直室で、酒飲みながら、談論風発、語り合ったモノです。夏目漱石の「坊ちゃん」のような雰囲気が有りました・・・今の時代なら、職場で酒を?むなんて、何事や!ということで、非難や懲罰を喰らいそうですが、当時は、まだまだ大らかで、宿直室で麻雀などもシテイマシタこんなこと、大阪市長が聞いたら、    目を剥くようなことだとも、思いますが・・・その大らかさが、職場の和と輪と、    お互い、教師を育て合ってきた!!! 私は、新任校が、工業高校だったので、職場に【徒弟制】のような雰囲気があって、ちょっと封建的やったけど、先輩が後輩の面倒を見る風潮が充満していました。だから、休みの日に、先輩教師にあちこち連れて貰って、人生、良いことも悪いことも、よく教えて貰ったものです。夏休みなど、職場合宿や組合合宿が必ずあって、教育論・人生論を、夜を徹して、話し合った!昭和44年からかなり長い間、「スト権奪還闘争」が華やかなときで、八幡山の桜の木の下で、エイエイオウ??!と気勢を上げたものです。当時の首相は、三木首相!処分されるのを覚悟で、「正義は、我らに有り!」と意気軒昂の日々、校門でも生徒達に、ビラを配って、スト権奪還闘争の正当性を訴えたものです。今から思えば、何事ヤ!と顰蹙買うようなことも、多々、有ったのですが、私たちは、組合活動が教育を“正常化”する!といった、思いで、校長交渉や対県教委交渉も熾烈!!私たち組合員の間では、歴史を切り開く高揚感・使命感が充満していました。過去の思い出ばかり懐古しているようですが、その一つひとつが、     教師の【人間力】を育てた・・・!         (長く、なりますので、次号以下に続けます。)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ