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イジメをしたがる人間! けど、一方では・・・ 

2012年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

   教師現役の頃、「イジメ」について論文を書いたことがあります。その要点を書きますと・・・    イジメをしたがる人間!           けど、一方では・・・ およそ人間は、悲しいことに、 ともすれば、いじめをしたがる生きものです。人を蹴落としても、己の優位・居心地のよさを保ちたい!一方で人間は、   人との協力・愛・絆を求める生きもの、                       でもあります。 歴史的には、戦争や殺戮、いった行為が繰り返され   まさに、残酷ないじめの極致が繰り返されてきました。しかし、一方で、共生・共存を求める動きも、人類社会に強く現れ、 人権尊重・民主主義・平和主義の理念を 人類は獲得してきました!  今日、人権尊重・民主主義・平和主義の理念が是とされている国や地域では、大人は、ともすれば、人をけなしたりすることに快感を覚えつつも、   人権尊重・民主主義・平和主義の理念を体得してからは、 これ以上、いじめ若しくはそれに類似したことをすれば、 やばいぞ! 相手も、自分の立場も危うくなるぞ! という先を見通す自覚の基に、       あるところで、行為を止めていきます。 ところが、子どもは、その歯止めがなかなか利かず、面白いから、と、とことん突っ走ってしまう!子どもたちイジメは、表面的には「遊び」の延長」「友だち同士のじゃれ合い」だと、 いじめてる側は主張する。だが、その行為は、じっくり見れば一歩通行。対等にやり合う、「喧嘩」というものではない。やられている側は、自尊心もあって、イジメを認めたくない、親に心配かけたくない!たまに優しい言葉をかけてくれることもあるし、さまざまな心情が行き交って、  イジメが常態化していきます。また、反発しそうにない子どもに対しては加害者の数が増えて、グループ化していきます。昭和30年代ごろまでは、子どもたちは「異年齢集団」を形成し、中学生ぐらいの年長者が、   子ども同士の喧嘩を一定の所で裁いて止め、1対1で喧嘩する、武器を持たない、卑怯なことをしない、相手が泣き出せば、喧嘩を止める、といったルールがありましたが、今は、ほぼ「同年齢集団」で行動し、喧嘩の暗黙のルールもなく、卑怯だとか、喧嘩の仲裁といったルールもなく、とことん突っ走って、多数対1人、武器を持つ、卑怯・卑劣でも、勝って、優位に立ったモン勝ち、   みたいな状態があるのではないでしょうか?  高度経済成長で、地域社会が崩壊する昭和40年代半ばまではガキ大将の仲裁や地域社会の大人の眼がありましたが、地域社会の連帯も気魄になり、その役割を、今日、担うべきは、いじめが発生しやすい集団である学校の教師の眼      学校の教師の眼が、今日、どういう状態になっているのでしょうか???役割は、とてつもなく大きい!  (次号以下に、続けます)

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