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鎌倉の息子家族のところへ・その2ー2 

2012年04月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 私の育った伊藤町の続きです。
 今回私はお寿司屋さんとお蕎麦屋さんに顔を出したかったのですが、残念ながら両方とも駄目だったのです。
 お寿司屋さんのご主人は、子供の頃、私に自転車の乗り方を教えてくれたのですが、それ以前に縁台将棋の
 良き対戦相手でもありました。
 


       水色のシャッターが寿司屋、隣の床屋は同級生の女の子がいて成長して店で働いていたが..。 
       床屋の隣は自転車屋だった。
 
 寿司屋の旦那は私より年下だと思いましたが、少ししか離れていませんので、通りがかったおばさんに聞いた ところ、歳をとってきて疲れるのでしょう夕方からしか営業しないのだそうです。まだ昼時です。
 昼食に入ろうとしたお馴染だったお蕎麦屋「つたや」さんは、もうお店がありませんでした。ご主人が亡くなられ て閉店になったそうです。後を継ぐ人がいなかったのでしょう。とても残念です。
 


      車庫に車のある家がお蕎麦屋さんだった。隣の食事処は昔 魚屋だったと思う。
 
 そのおばさんは、商店街というものが無くなってしまったので、難しくなりましたと言っていました。
 そう言えば、私がよくコロッケを買いに行った肉屋も、並びのお豆腐屋も、元気な女将さんのいた酒屋も、大き な声で活気のあった魚屋も、太ったお姉さんのいた八百屋もありませんでした。
 
 頭の良い同級生のいたパン屋、可愛い女の子のいた歯医者、我が家のボロボロの襖をただで張り替えてくれ  た息子のいた表具屋、よく話し相手になってくれたおばさんがいた薬局、そして床屋の隣の自転車屋、それら  の店が全部無くなっていたのです。その後はすべてと言っていい程二階建ての家が建っていました。
 


     車の見える手前の店は昔酒屋だったが今はコンビニ、その手前は豆腐屋、肉屋など等が
     あった。間口の広い家具屋もあったと思ったが今は無い。    
 
 ずっと雨が降り続いていて風も少しありズボンが濡れてきました。それでだいぶ離れていますが、ちょっと想い 出のあるお蕎麦屋を探して歩きました。街の様子も変りお店も新しくなっていますので、絶対そこだとは言いき れませんが、距離や向き、店の中の感じから間違いないと思いました。
 
 私が中学を卒業して就職試験を受けたとき、肺結核と診断され就職出来ずに一年間家で療養することになり
 ました。何もすることがありませんし激しい運動も駄目ですから、ボケっとして時々街の中をフラフラと歩いて  いました。
 
 その頃、昼の食事として、多分20円ばかりを貰って蕎麦屋でかけ蕎麦かもり蕎麦を食べることがありました。
 でもいつも同じ蕎麦屋ばかりでは格好が悪いと思って、しっかりと20円を握りしめて、もし落としたら食べられ  ないのだと思って少し離れた蕎麦屋へ歩いて行ったのです。
 
 今日は少し涼しかったので、かけ蕎麦に天かすの入った たぬき蕎麦を食べました。私の好きな味です。これ
 で西大井を後にすることにしました。もう此処に来ることは無いでしょう。
 
 下の写真は、ちょうど10年前に来たときに撮った「つたや」さんです。その時は ざる蕎麦を食べました。


 
 

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