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たかが一人、されど一人

この国の分かりにくさ 

2012年03月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

地球上のどこに行っても、人間社会は複雑怪奇であるようだ。他の動物に有るか無いかは分からないが、人間にはどうしても表と裏に別の人格が形成されてしまうのは、社会生活を営む以上避けられないのだろう。個人的に考えても、裏表を知り尽くす人間なんてそういるものではない。夫婦親子でさえ裏の裏まで知り尽くすことは先ず不可能だろう。まして著書やマスメディアで知っているだけの人が、どこまで本音で語っているのかを知ることは無理である。善人みたい顔をしている人が悪党だったり、悪人面の善人がいたりするだろう。これは仕方がないと思うが、組織の行為基準に同様の表裏があると困ったことになる場合がある。例えばプロ野球の巨人軍が選手のスカウトに際して、選手に内緒で払ったお金を巡って、朝日新聞と読売新聞が何か下らない争いをしている。この事件で読売新聞のナベツネさん(社主と言うのかな)が、朝日新聞の品格を疑うと言っている。と言う事は朝日新聞にはもともと品格があったことになるが、朝日新聞と読売新聞に品格の差なんか有ろう筈がない。従ってこの事は表裏が有ろうと無かろうと問題ではない。例示がまずかったかもしれないが、言いたかったのは我が国民主主義の根幹とされる三権分立が、余りにも建前だけで、実態的には国権の最高機関である立法府の権限がないがしろにされ過ぎているとの思いが益々大きくなってきた。最初は、行政府である官僚に立法の仕事を丸投げしていることに不満を感じていたものだ。ところが最近、来月26日に判決が迫った小沢裁判を巡って盛んに言われ始めた事。即ち、この裁判の過程で検察の捜査がいい加減であったことが明るみに出ると共に、小沢氏をターゲットにしたこと自体が極めて政治的であったようなことがネット上に沢山出始めている。一例を挙げるとフリージャーナリスト田中良紹のブログには如何に政治的な捜査であるかが縷々書かれ、結論として「特捜は誕生以来、常に一方の政治勢力と手を組んで自らの地位を守り、政治と裏取引をしながら、国民には「巨悪に挑戦する正義」として振る舞ってきた。」と書かれている。*http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/03/post_294.htmlその司令塔になっているのがなる部局で、田中氏は特捜を歴史的見地から分析しているので触れていないが、最近ネット上の流行り言葉の一つが「最高裁事務総局」聞き慣れなかったが、ここが司令塔で司法検察・裁判官を意のままに操っているらしい。組織だからどこかに司令塔が存在するのも当たり前だろうが、正義の味方が自分の組織権益擁護のために罪なき人をお縄にしているとしたら大問題だ。

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