どんぐりと山猫の部屋

香春岳にのぼってきました 

2010年06月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



戦前の香春岳 平尾台観察センターのボランティア講習で香春岳にのぼってきました。香春岳はかつては一の岳、二の岳、三の岳からなる石灰岩の山(右の写真:石灰採掘前の香春岳三山)で、一の岳は現在セメント会社が石灰岩を掘りだして私の若いころと比べても相当に低くなっています。

 この香春岳は、五木寛之の「青春の門」で有名になりました。しかし、セメントの会社の土地だとの先入観もあり、いつも登る福智山の南側のすぐそばにあるにもかかわらず、いままで私は登ったことがありませんでした。そして昨年、バイクを走らせていて偶然お会いした香春で農業をされているおじさんに、香春岳はいい山だと聞かされて、気になっていた山でした。

 この香春岳周辺は、古代より朝鮮半島・大陸との関係が深く、山麓の銅山でとれた銅も奈良に運ばれて大仏に使われたとか、宇佐神宮の銅鏡もここで作られたなどの言い伝えが残っています。登山道を歩いて行くと、鍾乳洞かなと間違いやすいのですが、ところどころに、マブとよばれる採掘の穴がのこっています。そばをぬける国道の金辺峠の名前も、そんな歴史からつけられたそうです。

 香春岳の石灰は、平尾台と同じように、一度地下深くでマグマにとかされて再結晶した変成岩の大理石です。マグマと石灰岩と熱水が交わることによって、銅などが石灰岩になかに蓄積して鉱床をつくるスカルン鉱床とよばれる代表的なところのようです。
 そのことを証明するように、私たちがのぼっていった登山道のわきには、平尾台の石灰岩の結晶よりもはるかに結晶が大きくて、金属の不純物を含んでか、光の加減で青白く光ったり、ピンク色をした石灰岩の結晶もみつかりました。

 私たちは平尾台を車ででて、採銅所駅の前の道を南に下り、「五徳峠へ」という看板のところで西に右折して、しばらく離合するのが困難な細い道を山のほうへ登って行きました。すこし広く車を何台か駐車することができる場所がありましたが、そこが、牛斬山と香春岳の登山口になっていました。
 車を降りて南側の香春岳の登山口をしばらく歩いていくと、岩登りコースと、ファミリーコースに分かれます。私たちは傾斜は急だが見晴らしの良い岩登りコースをまず進みました。

 登山道からすこしはずれには鉱山採掘跡(マブ)があり、岩壁は鉄鉱石があるのか赤茶けていました。登山道のわきには、この時期としてはむしろ平尾台よりたくさん野草を見ることができました。岩登りといっても、しっかり確保できる凹凸も多く、石灰岩だから足も滑りにくいので、そんなに危険は感じませんが、つぎにどこに左右の足を確保するのか考えていく必要はありました。

 メンバーは、センターの方の先導に、長年平尾台の鍾乳洞に入られておられる最高齢86歳のIさんもおられ、みなさん気さくで愉快な方たちばかりなので、私も安心して冗談を言いながらたのしく登ることができました。コース全長5.5キロ、5時間のゆっくりとした自然観察山域でした。


ガマズミの花に、ジュウシチホシハナムグリのつがい


 しかし、教えていただいた花の名前は、あまりにもたくさんありすぎて、帰ったらすっかり忘れてしまっていました。年のせいでしょうか、頭に入りません。

 ウツギ、ガマズミ、ヒトリシズカ、フタリシズカ、ヤマハタザオ、イブキシモツケ、マムシグサ、セキショウ、オオバコ、ドクダミ、ハナウド、キンミズヒキ、シラン、アカツメクサ、アザミ、ミヤコグサ、ウマノアシカタ、などなど、書けば限がありませんね。

 三の岳の頂上付近の眺望は斜面がきゅうなだけに素晴らしく、晴天にも恵まれて、とおいところまで見渡すことができました。
 三の岳からは、いわゆるファミリーコースを林道まで降りて、二の岳を目指しました。
 二の岳の頂上は、ピナクルが複雑に入り組んでゆっくりするところがありませんが、すこし先に広いところがあり、そこから一の岳を見下ろすことができました。
 写真は、昨日のコースと二の岳からみた一の岳の石灰岩採掘の現場です。香春岳、石灰というより切開だな、なんてダジャレもとびだしました。


すっぱりと切り取られた一の岳が見える


香春岳登山コース




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