+++トンネルの中へ入り通過中であった。顔を上げ
た時、暗いフロントガラスに小ニの女の子の影が映
って、こっちへ笑いかけた気がした。私も笑った。
「もう、アカンタレではないよ!」と、心で彼女へ応
じた。
29/50.シュナイター
ちょっとした決心を秘めて、次の正月の二日目私は
一人で山へ出掛けた。車ではなく電車でJR須磨駅に着
いた。私が育った潮見台の昔の家はもうとっくに無
い。昔懐かしいキツネ坂を歩き、潮見台町を通り抜け
て見覚えのある登山口へやって来た。
見晴台へ通じる道の分岐点が何処にあるのか判らな
かったが、場所として鉄拐山の直ぐ背後の山だと確信
的な見当が付いていたから、途中から北へ北へと道を
選んで行けば、辿り着ける筈である。以前ドイツの取
引先に貰ったシュタイナーの軍用双眼鏡を、小型のナ
ップザックに押し込んでいた。耐水性で口径が国産品
の二倍はあるから、老眼はこれで補うに限る。
仮に見晴台へ辿り着けなくても、昔の山へ登るだけ
でも良いレクリエーションになると思ったから、気は
楽である。もしその日の内に行き着けなければいざぎ
良く下山して、明日か明後日に車でもう一度出直し
て、山の周りの道路を細かく巡って、正しい登山口を
見つける心積りである。
小ニの茶店かその痕跡を、今度こそ見つけるの自信
に満ちていたから、心持だけは万全の構えである。
登山口から歩き、ほどなく覚えのある中腹の休憩所
まで来て、そこで海を眺めた。谷に掛かる橋を渡り、
岩の道を登り、やがて7合目辺りと思う第二の休憩所
に着いた。昔には無かった休憩所で、ちょっとした小
屋がありベンチとテーブルを置いてあった。署名簿と
ノートもあった。中腹の休憩所より標高が高いから、
一段と景色が良い。
生前私の母は、六十の頃からだったか、雨の日以外
は毎朝欠かさず健康の為に、この第二の休憩所まで登
るのを日課としていたようだ。ここで署名してから、
元来た道を下るのだ、と昔母親は私にそう言っていた。
一緒に登った経験は無いが、確か千回登山を達成し
た筈である。一回で寿命が一ヶ月延びる筈で、だから
百歳まで生きる勘定だったが、八十九で死んだのは残
念だったろう。
(つづく)
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