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作品名 アカンタレの話(29) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(29)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/24 09:38:14

+++山好きが須磨アルプスの一角を形成する「そ
の山」へ、一度も「足を向けようとしなかった」のは
不自然ではないか? 車の助手席には充分に思考の時
間がある。考えて見た:

29/50.隔絶された世界
 犯罪捜査では犯人の動機が重視される。山好きな人
間が何度か目にしながら、「その山へ足を向けない」
為の、積極的な動機が何かあったろうかーーー? 実
はあった:

 第一に考えられるのは、その山の標高が鉄拐山より
やや低かった点である。次に、鉄拐山は須磨アルプス
連峰の一角で、直ぐ西隣にやや標高の高い鉢伏山があ
った。鉄拐山は隣接するそれぞれやや高い鉢伏山と、
やや低い見晴台の山に挟まれた丁度真ん中に位置す
る。
 これら三つの山が尾根続きなら、真ん中の鉄拐山に
登ってそこから足が次に向かう先は、登山者心理とし
て低い山よりも、一般に一層高い方の山を目指す。私
も例外ではなかったのである。

 未だ他の理由もあった:標高のやや低い見晴台の山
は須磨アルプス連峰の北東端で、連峰はそこでお仕舞
いになっており、その先は下界だったからなのだ。
 行った道を後戻りせずその方向で山を降りてしま
うと、山裾の地べた道を潮見台へ戻って来るのは、平
坦ではあるが面白みの無い山麓を延々と迂回して半日
以上のロングコースになってしまう。これが鉄拐山の
山頂から眺めて、地形として良く判る。

 そんな草臥れ儲けとなる山へ、私は足を向けようと
いう気分が起きなかったのだ。潮見台に住まう住人な
ればこそ、の心理である。また結局これが、女の子が
当時小学校へ通う通学路として山麓の平地の遠い回り
道を避けて、潮見台側の登山口を経由する山道を、選
んだ理由になったのだろう。

 登り慣れた登山口から一旦鉄拐山に足を踏み入れ
たら最後、山の高低に対する登山者心理の面でも、下
山時の草臥れ儲けの度合いでも、見晴台の山へ足が向
かない「仕組み」になっていたと言える。
 
 結果的に、見晴台の根元に「ある筈の茶店」は、潮
見台側からの登山者にとって「隔絶された別世界」だ
ったのだ。昔あれ程探しても判らなかった筈で、半世
紀以上掛けて謎の数式が終に全部解けた。

 考えて見れば不思議である:この高速道路が存在し
てなければ、見晴台を発見する機会は生涯無かった訳
だし、失業者から一転セールスマンになって走り回る
職業につかなければ、須磨アルプスを裏側から気を入
れてじっくり眺めるチャンスは訪れなかった。
 更に息子の車に同乗して助手席に座り、思考の時間
が与えられたのも幸いした。どれ一つが欠けても、謎
を解くことは適わなかったのである。

 若い時代、大人になって社会人になってさえ、彼女
から私はそれ程遠い距離に居たわけではない。けれ
ども、目に見えない「何かの意志」が存在して、長年
それが彼女に近づこうとする私を阻止していたような
気がしないでもない。

 何かの意志とは、連峰の「山の精」だったろうかー
ーー? そう考えると人生が何かロマンチックに感
じる。私もこの歳になり腹も多少は据わり、気持がた
やすくはぐらつかない。もう大丈夫となったから、生
涯の贈り物として山の精が私へ、親切に「種明かし」
をして見せてくれたのだろうか? 複数以上の偶然の
重なりを思うと、実に不思議な気持になる。

 車は須磨の料金所前のトンネルの中へ入り通過中で
あった。顔を上げた時、暗いフロントガラスに小ニの
女の子の影が映って、こっちへ笑いかけた気がした。
私も笑った。「もう、アカンタレではないよ!」と、
心で彼女へ応じた。
(つづく)

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