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作品名 アカンタレの話(28) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(28)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/23 12:04:24

+++山の頂上に辿り着くぎりぎりまで、見晴台は
ずっと目隠しされたままなのである。小ニの当時、
幾ら歩いても茶店の影が見えなかったのは、どうも
この理由によるらしい。二番目の謎が氷解した。

28/50.人の心理
 同時にもう一つ、三番目の「思い込み」という人間
心理の発見をした:私は若い頃に、何度か茶店の場所
を可也探索したが、とうとう見つけず終いだった。当
時の私は、茶店が「鉄拐山の何処か」にあるものと信
じ切って、鉄拐山を上から下まで探していた。小二の
彼女と昔歩いたのは間違いなく鉄拐山だったからで、
それ以外の場所を想定してはいなかった。

 けれども、実際に彼女が目指していたのは、鉄拐山
の頂上やその付近ではなく、そこを通り越えた隣の別
の山だった訳である。それが小二の女の子の通う通学
路だったとはーーー途方もない、と改めて思った。

 小ニの当時、登山口で「(茶店は山の)どの辺?」
と私が訊いた時、「う〜んーーー」と女が不審な生返
事をしたのを覚えている。そんな返事は、今思えば当
たり前である。彼女には説明しようがなかったのだ。
山一つ越えた先にある別の山の頂上だなんて正確に教
えたなら、登る前から私はたまげて腰を抜かした事だ
ろう。当時の私には、目の前にある鉄拐山の精々中腹
までが、父親と一緒に登った最高所だったからである。

 この「思い込み」は、誰しも陥りやすい錯覚と言
える。しかし、車から山を眺めていて、もっと不可解
な問題があるのに気付いた:その昔鉄拐山の山頂に立
って見渡した時に、茶店の事は別に置いて、目に飛び
込んだ筈の北側に隣接する「その山」まで行ってみよ
うという気分が、どうして一度も私に起きなかった
か?である。「その山」まで行きさえすれば、茶店の
存在は自ずと判ったのにーーー。 

 私は元々山歩きが好きで、体力が無いくせに、若い
時分には北アルプスや南アルプスの山々へ登った位で
ある。そんな山好きが須磨アルプスの一角を形成す
る「その山」へ、一度も「足を向けようとしなかっ
た」のは不自然ではないか? 車の助手席には充分に
思考の時間がある。考えて見た:
(つづく)

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