「新聞記者」という題名から、皆さんは、どんな映画を連想されるでしょう。
明るく楽しい、いわゆる娯楽映画と思われる方は、少ないでしょうね。
私も同じです。
社会の矛盾に向き合う、重いテーマの映画ではないかと想像しました。
私の苦手とするところです。
観覧を躊躇っておりました。
それが一転、見る気になったのには、訳があります。
後述します。
平日の朝九時。
映画館に、客は少なかろうと思いました。
しかし意外です。
客席は、八分埋まっておりました。
やはりと言うべきか、シニアが多いです。
しかし、若い男女も散見されます。
この関心の高さは、何故だろう……
見終った今でも、その辺がわかりません。
と言いつつも、想像するところが、ないわけではありません。
昨今、政治への不信が広がっています。
現状を憂う人は、少なくないと思われます。
そういう人が、望んでやって来たのかもしれません。
内閣調査室、略して「内調」ここが映画の核心となる場所です。
我が国の行政を担当する最高機関、内閣が、悪いことをするはずがない。
と私達は信じています。
この「悪い」は、誰に対しての「悪い」か……
もちろん「国民に対し」に決まっているじゃないか。
と仰る方は、少し甘いかもしれません。
実は官僚は「時の内閣に対しての」悪いこと(好ましからざる影響を及ぼすこと)をも、
排除、あるいは抹消しようとするのです。
上司に忠順し、上司は政治家を忖度し……です。
おやおや、何処かで見た光景ですね。
そうです。
一昨年、散々騒がれた、学部の新設を巡る、一連の問題に似ています。
それを「パクった」と言うよりも「下敷きにした」と言う方が適当でしょう。
あの騒動は、フィクションではなく、実際に起きたことなのですから。
映画のもう一方の中心は、新聞社の編集部です。
不可解な出来事に疑念を抱いた記者が、謎を解明しようとする。
記者は女性です。
相手は公権力という難敵です。
とても勝負になりそうもない。
しかしながら、執念と言うのは大したものです。
歩々念々、真相に向かい肉薄して行きます。
この記者を演じる女性は、日本の女優さんではありません。
そこにどんな理由があるかは、わかりませんが(おおよそのことは察せられます)
韓国の女優さんを配しています。
女性記者は、日韓両国人の親を持つハーフ、そしてアメリカ育ちということもあり、
日本語が少しぎごちない。
しかし、真実を求め、取材へ奔走する際に、その訥弁はむしろ、ひたむきさを表して、
効果的です。
権力の側からの、様々な妨害を乗り越え、遂に真相に至った彼女。
観客はほっとする半面、胸に苦い思いも湧き立ちます。
いざとなると、隠蔽でも弥縫でも糊塗でも、何でもやってのけ、恥じることのない、
権力のおぞましさにです。
「権力は、それ自体で腐敗する」
よく言ったものです。
その権力を向こうに回し、この映画、よくぞ作ったと思います。
製作者の心意気に、心からの拍手を送りたいと思います。
「新聞なき政府か、政府なき新聞か、
いずれを持つべきかの決断を迫られたら、私は一瞬のためらいもなく後者を選ぶ」
としたトーマス・ジェファーソンの言葉を思い出します。
国民は舐められている。
「この程度の国民には、この程度の政治ですよ」
かつて言い放った政治家が居ました。
失言として、彼は後に陳謝しましたが、実は本音なのです。
多くの政治家や官僚が、上辺はともかく、国民を軽視している。と私は思います。
だって、国政選挙の投票率が、50%をわずかに超えるくらいですよ。
舐められて当然かもしれません。
ちなみに私は、成人してこの方、選挙という選挙に、棄権したことがありません。
ええ、ただの一度もです。
そして、新聞は長年にわたり、購読を続けて居ます。
「おえらいですね」
皮肉を言う人が居ます。
「そんなもん、何がえらいもんですか。当たり前田のクラッカーですよ」
言い返してやります。
すると、口の減らないそいつが、また、言い返します。
「古いねぇ。今やクラッカーは、ナビスコのリッツだぜ」
参院選が近いです。
皆様、投票にだけは行きましょう。
そうです、政治家や官僚にナメられないためにです。
東京新聞に望月衣塑子さんという記者がいます。
彼女は、首相官邸での記者会見において、菅官房長官から、目の仇にされています。
権力に対し、直言し、怯むことがないからです。
女性ながら、肝の据わった人だと思います。
その彼女が、この映画の原案者だそうです。
私は、その反骨精神を買っています。
敢えて、重いテーマのこの映画を、見に行くことになった所以であります。
褒貶の分かれるであろう映画です。
どなたに対しても、観覧をお勧めするものではありません。
A:お勧めする人
新聞を購読し、尚且つ選挙に行く人
B:お勧めしない人
その他大勢
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