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たかが一人、されど一人

昭和っ子 

2024年05月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 今日は父の誕生日。明治38年(1905年)の生まれだから、生きていれば119歳か、随分昔のことになってっしまった。今度はこちらが今両親がいるあの世とやらに行く日が近い。父が生まれた翌日が東郷平八郎海軍大将が率いる日本艦隊が日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破したそうだ。よって明日は戦前の海軍記念日。馬鹿の一つ覚えで何度もブログに書いてきた。母も一応明治生まれ、明治45年2月8日。年半ばで元号が大正になったので、父はいつも「お母さんは半分だけ明治の女」と笑っていた。何れにしても、こちらは昭和15年生まれで生粋の昭和子、就職してからも明治生まれの人からは教わることが多かった。可愛がってくださった方が多いせいか、今から思うと明治の方は、嫌がらずに他人の面倒を見ることと、約束を守ることに厳しい方が多かったように思う。他人の面倒見は真似ができないが、約束だけは出来る限り守りたいと思う。小生が社会人になったのは昭和38年(1963年)日本もようやく戦後を脱し、経済も成長して世界に進出し始めた時代。父もどこかメーカーに就職させたかったろうが、不肖の倅で信越化学や2眼レフカメラで世界に進出し始めていた八洲光学精機に等、何れも社長面接までさせてもらったが、不採用に終わった。結局就職できたのが農協の機関誌「家の光」専属の広告代理店の零細企業。それでも今にして思えば、当時の日本は独特の社会主義体制社会で、極端な所得格差の無い良い時代だった。その会社にぬくぬくと25年居座って、社会が資本主義という一種の競争社会になっていることにやっと気が付いたものだ。資本主義の競争も行き過ぎると、現在のように「今だけ、俺だけ、金だけ」で、格差が拡大するのは已むを得ぬことかもしれぬ。別に走り続けて来た訳でもないが、いい加減疲れが出てきた。もうそろそろ腰を下ろして休むことにしたい。

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