読書日記

『惜櫟荘だより』 読書日記341 

2024年03月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:読書日記


佐伯泰英『惜櫟荘だより』岩波書店(図書館)

この本は著者にとって初めてのエッセイであり、岩波書店の出版社PR誌である雑誌『図書』に連載(2010年5月号〜2012年4月号)されていたものである。「惜櫟荘」というのは「せきれきそう」と読み、岩波茂雄が熱海に立てた近代数寄屋建築である。作家の佐伯泰英がこの名建築を私費を投じて修復する/していることはなんとなく漏れ聞いていたのであるが、そのいきさつと過程を描いたエッセイである。

岩波書店による内容紹介は以下の様になる(注:文庫発刊時のものの様で私は「惜櫟荘だより番外編 芳名録余滴」のない本文だけを読んだ)。

惜櫟荘(セキレキソウ)は、岩波茂雄が戦時下の1941年に、静養のため海を間近に望む熱海の地に建てた別邸で、江戸の粋を知る建築家・吉田五十八(イソヤ)の感性と信州人・岩波の海への憧憬から生まれた「近代数寄屋(スキヤ)の名建築」といわれています。
 熱海に仕事場を構える作家・佐伯泰英氏は、縁あって惜櫟荘を譲り受け、これを後世に残すための修復保存を志します。年月を経て傷みもみられた建物をいったん解体したうえで、家具・調度にいたるまですべてを当初の姿に復元するという徹底した完全修復の計画でした。設計図もない中、パズルを解くような解体・修復工事が始まると、「五十八マジック」ともいうべき独創的な仕掛けがつぎつぎと明らかになっていきます。
 「名建築」はいかにして蘇ったのか? 秘められた趣向とは? 若き日のスペインでの思い出や、惜櫟荘が結ぶ縁で出会った人々など、興味深いエピソードも交え、修復完成まで足掛け4年の日々をつぶさに綴った本書は、好評の『図書』連載をもとにまとめられた、著者初のエッセイです。現代文庫版には、単行本版のカラー口絵8頁をはじめ建物の細部の魅力を伝える写真をすべて再録、さらに惜櫟荘を訪れた多彩な人々の記録をめぐる書き下ろし随筆「惜櫟荘だより番外編 芳名録余滴」を収めます。
 岩波茂雄が「惜櫟荘主人」なら自らは「惜櫟荘番人」であると称して、設計者・吉田五十八の趣向・工夫に感じ入り、大工棟梁・建具師・石工らの仕事ぶりに共感を寄せつつ、困難な修復作業に楽しみながら向き合う著者の心意気は、氏の生み出す時代小説の世界のあちこちと響き合っているように思えます。佐伯小説のファンのかたがたにも、本書をぜひ手にとっていただきたいと願うゆえんです。
 「惜櫟荘」の命名のもとになった櫟(クヌギ)が洋間のガラス戸に映る様子を著者自らが撮影した表紙カバー写真にもぜひご注目下さい。

たまたま、買い求めた別荘あるいは居宅、仕事場が惜櫟荘の隣地であったという縁から、惜櫟荘門番と称し惜櫟荘の完全修復に携わることになった著者はご存知「居眠り磐音」シリーズを始め、多数の「書き下ろし文庫」が売れに売れた作家である。千数百万部と言われる販売量からの印税を惜しみなく投入しての完全修復。著者はさすがに金銭的な負担については微塵も書かないが、おそらく億単位の費用がかかっているはず。

重要文化財ではないものの貴重な文化遺産が朽ち果ててしまうのは今の日本にはよくあることであるが・・地元の市町村にしても、購入して修築し、維持管理していくにはそれなりの費用がかかるから、なかなか手を出せない。今回は流行作家が手をだしたけれど、この著者にしろ自分が死んだ後に後世にどの様に継承していくか頭を悩ませているという。

それにしても、岩波茂雄の別荘(敷地面積は二百数十坪にわずか建坪は三十坪・・・熱海市の崖条例による、らしい)を建てるに当たっての金の使いぶりもすごい。なにしろ、山の斜面に建つ自分の別荘からの自分が好んだ景観を守るため、建築後に自分の別荘の下の土地およそ六百坪を買い増して「捨て地」にしていると言う。もちろんこれらの土地も著者は購入した訳である。
(2024年2月13日読了)



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