筆さんぽ

男と女。映画「ヘッドライト」で考えたこと 

2024年02月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:映画

若いころ、映画『アンタッチャブル』を観て、いっしょに観た友人に「オレはきょうからネス(捜査官のリーダー、エリオット・ネス)のように、きりっとして、ぜったいに笑わないぞ」と言ったら、笑われて、いっしょに笑った。

このころだと思うが『ニュー・シネマ・パラダイス』を観て、映写技師になろうと、「求人案内」の雑誌を見たり、先輩からは、高倉健の唐獅子牡丹』を観ると、「観終わって、映画館を出るときは、みんな肩を怒らしているんだぜ」という話を聞いたりと、男は、映画の主人公などに影響されやすいようだ。(あっ、ぼくだけか?)

もしぼくが、初老の長距離トラック運転手で、定宿にしているところで若い魅力的なウェイトレスとして働く女性と、お互いに惹かれ合ったらどうであろう。
手を引いて抱きしめ「ぼくにまかせろ」といいながらも、やはり「世間の目」を気にするであろうか。


知人が貸してくれたDVDのフランス映画『ヘッドライト』を観た。
(物語は複雑ですので、わかりずらいときは、ヘッドライト (映画) - Wikipedia)


トラック運転手のジャンは長時間の運転の途中、国道沿いにある「ラ・キャラバン」という宿屋で休憩した。

二年前のクリスマスの夜を思い出すジャン。彼は、パリとボルドーを往復するトラック運転手として、その日もこの宿で仮眠をとったのだ。宿には二十歳のクロ(クロチルド)というウェイトレスがいて、中年男のジャンは道ならぬ恋に落ちていった。

ジャンはパリの下町で妻子と暮らしていたが、妻や年頃の長女とは言い争いが絶えなかった。クロと深い仲になり、逢瀬の時間をやりくりするジャン。

だが、ジャンは会社の上司ともめてクビになってしまった。クロはジャンの子を身ごもったことを手紙で知らせたが、その手紙はジャンの手には届かなかった。

パリに来てジャンの失業を知ったクロは、妊娠の事実をジャンに告げぬまま、怪しげな堕胎の手術を受けてしまった。

家族にクロの存在を知られたジャンは、身一つで家を出ると、臨時の家畜運搬の仕事を引き受けた。クロは、妊娠は気のせいだったと嘘をつき、ジャンと暮らすためにトラックに乗り込む。

だが、途中の「ラ・キャラバン」にたどり着いた時、クロは息絶えてしまっていた。

「ラ・キャラバン」の店主に起こされ、トラックに乗り込む二年後のジャン。家族のもとに戻ったジャンは運転手として、淡々と日々を過ごすのだった。

運転手ジャンは、ジャン・ギャバンが演じる。ぼくはこの苦みばしった俳優が好きで、その存在感を美しいとさえ思っている。
アランドロンと共演した『地下室のメロデー』では、老獪なギャングを演じ、大スターのアラン・ドロン(この俳優も好きだ)が、チンピラにみえるほど重厚感があった。

ウェイトレスのクロは、フランソワーズ・アルヌールが演じる。
女優さんの魅力を語るのは難儀で、うまく言えないが、もし彼女と目が合ったら、ぼくの心は乱れてしまうにちがいない。

すこし陰を感じるが、喫茶店で彼女が本を読んでいたら、話しかけることなどはできないが「とても気になる女性」のように感じる。

冒頭に「世間の目」といったが、フランスの女性も男性も、かんたんに言うと個人主義が徹底しているので、自分がいいと思ったら、相手の年齡や職業などのステータスは関係ないようである。

自分が「いい」と決めたら、テコでも動かない頑固なものだから、年齢に関係なく、30代、40代、50代、60代以上でも自由に恋愛することになる。

娘ほど年の離れた女性と恋仲になる。 現代では「年の差恋愛、結婚」などは特異なことではないようだが、時代を考えると、日本では考えにくく、やはり人生に根ざした個人主義がそうさせているのだろうか。

とくに筋立てが面白いというわけではない。むしろ「よくある話」といっていいだろう。それにしては、あまりにも救いのない状況ではないだろうか。

にもかかわらず、この映画に妙な感動をおぼえるのはなぜだろう。
私たちは、内容は異なるが、多かれ少なかれ「先の見えない悲劇」を抱えているので、「それでもけなげに生きているなあ」と感動するのだろうか。

いやちょっとちがう。ちょっと言いづらいが、「男性」として、フランソワーズ・アルヌールという「女性」を意識してしまうのである。

彼女は何か「重いもの」を背負っているような気がして、その先に悲劇が待ち構えているのはわかっているが、「自分が支えてあげなければ」と心寄せたくなるのである。

どう考えても、この映画にハッピーエンドなどはありえない。
人の不幸を蜜の味にするわけでは断じてないが、二人の不幸を「確認」したいのであろうか。
それは、自分にまとわりついている、あらがうことのできない「不幸」をなぐさめて心を浄化しているのであろうか。

軽々に言うことではないが
男は、この女性のためなら命さえもささげるという気持ちになることがあるものである。
だからこの映画が好きになる
というと、「言い過ぎだろう!」とヒンシュクを買うことは承知して言っている。



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