メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

リハーサル 

2024年02月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 今日は昼からパソコン交代のために錦糸町まで出かけ、その後にも色々な用事があるので帰宅は夜になる筈。これを書いているのは古い機種ゆえ未だ11時前。腰も痛いし、前歯も欠けている、人前に出るに相応しい面体とは言えぬが、これも何かの定め。人生にリハーサルはない。関連して思うのは、テレビ報道のこと。視聴者はある意味で司会者の思うように誘導されている。番組の司会者は業界用語でMCと言われる。マスター・オブ・セレモニーで、発言者を指名するのが主な役割。記者のように報道すべき現場で取材を押してきた訳では無い。厳密に考えれば所謂ジャーナリストとは言えないかもしれぬ。テレビ番組の多くは多数の人の働きで構成されるゆえ、放送本番前には台本が作られ、入念なリハーサル(予行演習)が行われている。従ってテレビ番組は視聴者の関心を高めたり、その意識を一定の方向に誘導するための作為が濃厚に配慮されている。配慮が楽譜だとすれば、司会者はオーケストラの指揮者に当たるかもしれぬ。例が適切かどうか少し疑問だが、最近自民党の政治とカネ問題が盛んにテレビ取り上げらている。この問題は「赤旗」新聞報道等によってある種の犯罪であったことが立証された。それを受け検察当局も重い腰を上げて、嘗て大山鳴動と書いたが、一定の結論を出してしまった。全テレビ局と言えるかどうかは別に、これに納得せず、恰も警察か検察の捜査のように関係者をスタジオに呼び込み、何とか「私どもが悪いことをしました。」と謝らせたいようだ。しかし検察でさえお目溢ししてくれたものを、なんでお前たちに謝る必要があろうか。とまるで糠に釘。正直バカバカしくなってくる。検察には法と事実のすり合わせという言い分があるが、テレビ局の寄って立つところはなんだろうか?少し疑問を持っている昨今だ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ