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訃報が届いた
2023年12月30日
テーマ:エッセイ
先日Sさんの訃報が届いた
ぼくが仕事で最初に出会った人は
イラストレーターのSさんであった
Sさんは日本画家になりたかった
Sさんは中国地方のちいさな町から東京に出てきて
郷土の先輩のIさんの事務所の世話になった
Iさんはそのころレタリングの仕事をしていた。
レタリングは「文字をデザインして描く」ことである
いまの広告や出版の世界では
コンピュータによって
ほとんど人の手で描かれることはないが
かつてタイトル文字は
活字や写真植字などは別として「手書き」であった
Iさんの仕事の一つは
週刊誌のタイトル文字を描くことであった
週一回週刊誌(おもに『週刊新潮』だった)の編集部に詰めていて
編集部から依頼があると
その場でタイトル描いて印刷に回す
SさんはIさんのレタリングの仕事を手伝っていたが
イラストを描けないことに不満があった
何年かのち
Sさんは独立した
もともと絵心があったので
注文はそこそこきた
しかし心満たされてはいなかった
あるとき仕事の知人が
住宅の設計図をもってきた
これをもとに完成した家を描いてほしいという
Sさんは図面を「読んで」
完成した家を描いた
自分にそういう「才」があることを知った
このたぐいの注文がよく依頼されるようになって
仕事は順調だったが
満たされないものがあった。
Sさんはお酒を飲めないので
Sさんとは
喫茶店やSさんの仕事場で会った
「世の中は、思うようにはいかないな」
と口癖のようにつぶやいていた
あるとき
ぼくがウイスキーを好きだというのをどこかできいて
めずらしいことに
お酒を飲みに行こうよと誘いがあった
ぼくは仕事で使わせてもらっている
ダイニングバーに案内した
ここでは食事もできた
バーカウンターで
一杯だけ飲んでみませんかと
Sさんには飲みやすいギムレットをすすめた
ジンをライムジュースで割ったカクテルで
バーテンダーさんにはジンを少なくしてほしいといった
ぼくは好きなスコッチウイスキータリスカーを
ショットでとオーダーした
このころは力強いタリスカーばかりを飲んでいた
Sさんはまもなく顔が赤くなった
しばらくするとよくしゃべるようになった
どんな仕事でも若いうちにいい師匠をみつけることだよ
IさんはSさんの「師匠」にはならなかったようである
オレの頭のなかには「たいした画家」が棲んでいるはずだがといって
オレの一生はでくのぼうだったな
と話をしめた
ぼくはどう受けたらよいかわからず
言葉をさがしていた
それをみてのことであろうか
オレがオレであることの
証(あかし)はこれだよといって
耳をちいさく上下左右に動かしはじめた
これは誰にもできないだろうと笑った
Sさんはじつにうれしそうであった
ぼくは悲しくなって
トイレに行ってきますといって
カウンターから離れた
なぜかトイレで涙があふれてきた
顔を思いっきり洗った
Sさんの葬儀の日
挨拶に立ったSさんの奥さんが
手にした黒い額縁には
Sさんの遺影ではなく
日本画が入っていた
清楚で艶っぽい美人画であった
Sさんのなかには
奥さんが好きな
「たいした画家」が棲んでいた
ただそれだけのことだが
あの世に行ったら
Sさんにこの話をしてあげようと思っている
それにSさんにまた耳を動かしてほしい
あれはSさんにしかできない
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