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たかが一人、されど一人

三権分立 

2023年07月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日の続きのようなになるかもしれぬが、日本の曖昧さの一つに日本的民主主義があるような気がしてきた。民主主義の原則の一つに「三権分立」がある。王政のように権力が誰かに集中しないようするため、権力を立法、司法、行政の三つに分けて互いが牽制し合うようにすることが目的だ。ところが昨日、話題になっている袴田事件のやり直し裁判に関する報道の中で、コメントを寄せた検事経験者や判事経験者の話を聞いてるうちに成る程と思った。判事は司法権を司る役目、最高裁判事は建前的に一応国民の審判を仰ぐ仕掛けだけは出来ている。ところが検事は行政官だから国民に選ばれた人物ではない。国家が選抜して任命される。このことは法律上辻褄が合っているのだろうが、ここからグレーゾーンが発生する。行政機関の一つである警察、これも悪人を逮捕する権限を持っているが、逮捕した悪人の起訴(裁判に委ねる決定)は出来ない。その権利を行使できるのは検察官僚だけ。先に悪人と書いたが、推定無罪の原則では逮捕されても裁判で有罪が確定するまでは無罪とされるのが世界の常識。地方の行政官である警察職員が逮捕した犯人を、同じ地方行政官の検事が協力して反抗を突き止めるなら理解できる。しかし検察官は国家資格を有している人物。ここに大きなギャップが生じるように思うのだ。戦前は警察官も国家警察だから、一応国家資格を保持していたように思う。法律に疎いので確かかどうか分からない。しかし現在は建前的には自治体警察制度だから警察官は自治体職員の筈。検察官が国家資格で、警察官が自治体職員と言うことが色々な軋轢や矛盾の原因になってる可能背があるのではなかろうか。西部劇を観てると町のシェリフが犯人を逮捕し、郡の検事が来るまで留置場に留め置くシーンが頻繁に出てくる。検事も住民の投票で選ばれていることは言うまでもないだろう。行政での地方自治のありようが日本ではお題目だけで、国歌の影響が余りに大きい。従って日本の三権分立も曖昧そのもので名ばかりに過ぎない。警察や検察、更には司法と無縁の生活を送る多くの市民は無関係なことではあるが、悪事と無関係であっても政治的に対立する行政から目をつけられたりすると、小沢一郎氏のことを引き合い出すまでもなく大変なことになりかねない。

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