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たかが一人、されど一人

お金のこと 

2023年06月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 何度も書いてきたが経済問題は苦手だ。政治も経済と密接な関係がありそうだが、日本の経済運営については多額の借金をしていることに何となく胡散臭さは感じるものの、的を射るような考えは持ち得ない。しかし個人の経済については明快な考えがある。少し遡って説明したい。5人兄弟の家庭で育ったので我が家は決して貧乏だったとは言えない。ただ、父の復員(戦地からの帰宅)が終戦から約2年後だったので、子供時代は人並みに苦労は経験している。小学校入学後は、父も長野県の一応高級官僚になれたので収入は悪くなかったはず。大学入学時に大学に提出した身上調書に<保護者の収入>欄があって、そこに年収80万円と記入されている。勝手に当時の物価を現在の20分の1とすると、現代に置き換えると、年収1600万円くらいになるだろう。学生時代アルバイトをすること無く<年間授業料3万円+教科書代1万5千円+生活費月額1万円3年生から2万円>を親に面倒掛けていた。現代の地方公務員には出来ない相談かもしれぬ。学生の小生にとっても同様で、経済的には恵まれていたと言える。22歳にで独立して社会人になった時の初任給(見習い期間の3ヶ月は1万5千円、7月に゛正規採用になって1万7千5百円)は厳しかったが、おおらかな時代だから、会社から相当な前借りも出来たし、遊びもおおらかで、銀座の飲み屋もホステスが半年や1年ツケ払いを引き受けてくれたものだ。しかし借金が増える一方で、29歳で結婚した時、家内に「借金が年収と同じくらいある。」と自慢したのを覚えている。馬鹿な男に引っかかったものだと思うが、家内の力は大きかった、このバカ男を立ち直らせて就職した小さな広告屋の幹部社員に押し上げてくれた。勤務25年目にして退職するが、当時年収で1200万円くらい(+車1台と車庫付き借り上げ社宅)にはなっていたと思う。大阪に単身でいたので、家内には半分くらいは送金していたと思う。個人的には貯蓄は無かったように思うが、3ヶ月無休だったにも関わらず食わせてもらえたのは、家内がしっかり貯蓄してたからだ。退職金が750万円でたが、これは全額家のリフォームに消えた。その後、3つの会社を転々、給料は徐々に下がったが、収入が少なくなっても家内に渡す生活費は変えなかったように思う。自分の小遣いが減った分は無駄遣いをせずに家で飯を食えばよかった。今考えても、経済的には恵まれていたが、恵まれすぎた事が無かったのが幸いだ。お陰で現在は年金で健康的な生活が出来ている。お金は無ければ困るが、有り過ぎるても碌なことにならない。今朝の朝日新聞に次の記事が掲載されている『種子島、バブルに沸く 「漁なんか出てられん」ホテル満室、家賃急騰』自衛隊のミサイル基地建設故らしい。心配だ。

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