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60才、第二の人生

差別 

2023年03月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 僕が子供の頃の田舎は、まだ部落差別があったと思う。僕は、その差別を目の当たりにしたことがなかったが、友達が相当荒れていた。僕は、その時に心に誓った。「僕はその差別の現場に居合わせることが出来ないので、何もすることが出来ない。だったら、自分は絶対に差別をしない!」そう固く心に誓ったのだ。そう決めたら、男女の差別、年齢の差別、学歴の差別などに徹底的に抗ってきた。僕が東京に出てきてから、今度は在日韓国人への差別を知った。勿論僕は、その様な差別は絶対にしないと心に誓ったのだ。在日に韓国人にも韓国にも、すごく親しく付き合ってきたつもりだった。そして、家族の反対を押し切り、家族で韓国旅行にも行ったのだ。しかし、事態は一変した。従軍慰安婦問題だ。到底、納得できない。従軍慰安婦の親や近所の人も知らなかったことが、日韓請求協定後朝日新聞の報道で初めて知ったというのだ。従軍慰安婦として強制的に連れ去れた人の親兄弟が知らなかったって、それはどういうことなのか?それ以来、韓国が本当に嫌いになった。韓国には行かないように、ロッテ製品は買わないようにとブログで書いたこともあった。それはそれで、間違ってはいないと思っている。しかし、それに伴って在日韓国人も嫌いになっていったのだ。どうしても、整理が受け付けなくなってしまっていた。僕は、大谷翔平とあったこともないし、友達でもない。たまたま大谷翔平は日本人で、たまたま僕は日本人というだけだ。大谷翔平自身は誇れるが、僕が大谷翔平と同じ日本人だけで誇れる理由は一つもないのだ。僕がたまたま日本人に生まれたからといって、日本をアピールしてどうなるのか?そう考えると、韓国人や在日韓国人を差別することって、バカげたことである。また、僕の中で韓国人と在日韓国人の壁が消えた。同じ人間なのだ。

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