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遊民画廊

JR東戸塚駅駅から戸塚駅まで歴史遺跡探索(2023/3/9) 

2023年03月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 この駅間は、東海道保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に位置する場所。東戸塚駅から、高層マンションの間の急坂を登り交通量の多い環状2号線を渡った場所が最初の訪問地。<境木地蔵尊・境木立場跡> 難所「権太坂」(武蔵国)を登り詰め、相模国の高台にある「地蔵尊」。「立場」とは、宿場の間にある村(間の村)で馬を継いだり、人足や駕籠かき等が休息する場所とのこと。当時は富士山や江戸湾の眺望が良かったようだ。 東海道は、この後、焼餅坂・品濃坂と下っていく。<品濃の一里塚> 神奈川県内に残る一里塚の中では当時の姿を一番残しているそうで、道の両側に大きな木が残る丘が見られた、ここが日本橋から9案目の一里塚で約36q。あちっこちで、一里塚を見てきたが、ここの一里塚を見ると当時の一里塚の模様が理解できる。上方に向かって左側の丘は、少し住宅街を回ると公園から丘の模様が良くわかる。 この後、環状二号道路から、再び旧東海道、国道一号線を約3q歩いて、次の目的地「王子神社」へ向かった、<王子神社> 国道一号線から少し離れた丘の上に、国道一号線に背を向ける方向に建つ小さな神社。鎌倉幕府倒幕に貢献した後醍醐天皇の第三皇子護良親王の御首が葬られた場所とのこと。鎌倉の鎌倉宮も護良親王を祀っているが、ここ王子神社の方が古いとのこと。しかし、見栄えには相当差がある。<不動坂・大山前不動> 横浜新道に繋がる国道一号線の分かれ道(不動坂交差点)手前に柏尾の大山道入口の表示があった。ここが、江戸時代に流行した大山詣に向かう人が通つた大山道の入り口。 この狭い通りの右側に小さな祠の「大山前不動」。道標等古碑が集められていた。<戸塚宿江戸方見附跡> 戸塚宿の江戸側の入り口で、説明看板等がたっていた。ここから、戸塚駅近くのJR東海道線と交わる辺りまでで、「戸塚宿」の半分に当たるとのこと。<吉田一里塚> 道路脇に小さな案内板があるのみだが、ここは日本橋から10里の位置。江戸時代の旅人は、戸塚宿が最初の宿泊地だったようだ。<大橋>柏尾川に架かる橋で、橋げたに戸塚宿の浮世絵が模写されていた。  この辺りまで来ると、今朝満杯にしてきたスマホの電池が切れ、ナビが不可能になったのと、疲れたので、ここでこの日の散策は終了し、戸塚駅から帰途に。残りの戸塚宿はまたの機会に。

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