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川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その2(2023/2/9) 

2023年02月11日 外部ブログ記事
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 六郷の渡し跡から多摩川右岸の土手を下って行ったが、江戸町民が川崎大師を参詣した道(大師道)は、時々見える京急大師線の線路向こう。寒風が強いが歩いていると寒さをそれ程感じなかった。この辺りは高層マンションが多い。<<川崎河港水門>> 川崎市川崎区を縦横に走る大運河計画の一環として昭和初期に造られた国内最初の河港水門。残念ながら完成後15年にして大運河計画は廃止された。近代化遺産・国の登録有形文化財に指定されている。水門の最上部は川崎市の名産品梨・葡萄・桃の装飾がある。<<若宮八幡宮・金山神社>> 川崎河港水門から工場街を抜けて若宮八幡宮へ移動。境内中央に若宮八幡宮の本殿。右に幼稚園。左側に、藤森稲荷神社、絵馬殿、大師河原酒合戦350年記念碑(17世紀中頃この辺りで行われた酒量を競う酒合戦。有名な酒合戦の一つらしい)等の奥にひっそりと真新しい黒塗りの特異な形の建物が「金山神社」。この社殿は、鉄をイメージし外側を黒色の鉄板の正六角形で約8メートル高の吹き抜けの建物とのこと。入口は閉じられていたが、窓越しに中を覗くと刀鍛冶(?)と男性器の絵と手前には”ふいごと炉”が見えた。古くは「金山権現社」、俗に「かなまら様」と呼ばれ、性と鍛冶屋の神として信仰を集めてきたとのこと。民間信仰の集積地の感。<<平間(へいげん)寺:一般には川崎大師(厄除大師)>> 若宮八幡宮から東方向に5分ほど歩き、西解脱門から川崎大師境内へ。 境内で最初に目についたのは「しょうずかの婆さんの像」。「しょうづかの婆」は、三途の川で、亡者を閻魔様のところに送るかどうかを決める役目で、この像は、17世紀後半に造られたとのことで、足・目・鼻・口等の病の人に信仰を集めているとのこと。  さらに奥に進むと、広い境内には沢山の参詣者と露店。川崎大師は12世紀建立と言われているが、第二次世界大戦により殆どの建物が破壊されたので戦後再建されたものばかり。境内を一巡した後、東側の大山門から仲見世通りから次の目的地へ。<<明長寺>> 川崎大師のすぐ傍、参道沿いにあるので殆どの人は素通り。創建は15世紀末で、辻が花染め(室町時代から江戸初期に流行した絞り染め)の小袖が所蔵されている。この小紋は、大阪の夏の陣で手柄を挙げ拝領したものが寄進されたとのことで、国の重要文化財に指定されているとのこと。 以上で今回の探索は終了し、京浜急行大師線大師駅から帰途についた。

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