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川崎宿(旧東海道)と川崎大師周辺の散策 その1(2023/2/9) 

2023年02月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



? 30年近く通った川崎だが、勤務地と川崎駅の往復と駅周辺を歩いた程度で終わった。今回、改めて「川崎宿」と「川崎大師(平間寺)周辺」を歩いた。先ず、25年前とは全く変貌した「JR川崎駅前」を出発し、川崎宿の西側から。<<教安寺>> 川崎宿の西の外れに近い場所の寺。江戸時代流行した富士講所縁の寺のようで、山門の左手に「宿内安全」「天下泰平」を祈願して、川崎宿内の富士講中が建立した灯篭があった。 この後、細々と川崎宿のPR掲示が見られる「ひさご通り」を北上。<<宗三寺と一行寺>> 京浜急行川崎駅のすぐ傍にある寺で、この辺りが、川崎宿の本陣や問屋場(といやば)の集まる宿の中心地であったとのこと。宗三寺には、残念ながら見つけられなかったが。川崎宿の遊女の供養塔があるとのこと。一行寺は、「おえんまさま」の名で親しまれ、戦前は焔魔堂の開帳時など多くの参詣者で賑わったようだ。20世紀後半になって本殿客殿などが再建、縁日も復活とのこと。<<真福寺>> この後、現在の東海道である第一京浜国道に出て横浜方向に進むと右手に真福寺。この寺も山門はなく鉄製の門は、一行寺同様に閉じられていたが、通用門を開けて狭い境内に。入口傍の右手に17世紀中頃造られた庚申塔があった。<<稲毛神社>> 更に第一京浜を市役所方向に歩くと「稲毛神社」。この神社、明治以前は「川崎山王社」と称し、今でも氏子からは「山王さん」と呼ばれているとのこと。江戸時代には川崎宿等近隣の六カ村の総鎮守で、稲毛神社の名称は明治維新後。境内には小さな祠が多数見られ、樹齢千年近い大銀杏は、江戸時代から東海道を旅する旅人から「山王様の大銀杏」と呼ばれ、広重の絵としても残っているとのこと。<<六郷の渡し跡 明治天皇六郷渡御碑>> 今来た道を東京方面に戻り競馬場の交差点を過ぎると旧六郷の渡し跡。家康はこの地に六郷大橋を架けたが洪水で流されその後は渡し舟。渡船収入が川崎宿の財政を支えていたとのこと。 この後、多摩川の右岸の土手を下って次の目的地へ。(続く)

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