メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

むぅびぃ・とりっぷ

3人殺害の無職男(40)、サッカーがうまく映画監督で受賞歴も 

2022年12月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 クリスマスの日である12月25日の朝、埼玉県の飯能市の住宅地で60代の夫婦と30代の娘の3人が自宅で惨殺された3人を殺害した犯人は、ほとんど存在を周りに知られていなかった近所に住む独り暮らしの無職の男性で斉藤淳容疑者(40)。● ハンマーのようなもので襲うニュース映像で彼の表情を見ると、3人殺害という突発的な凶悪犯罪をするような人物には見えず、むしろ静かで大人しい人物に見える。斎藤容疑者は、殺害された夫婦の自宅から徒歩1分の場所に住んでいた。彼は殺人の疑いで逮捕され、27日朝、検察に身柄を送られた。殺されたのは、森田泉さん(68)、夫で米国籍のビショップ・ウィリアム・ロス・ジュニアさん(69)、娘の森田ソフィアナ恵さん(32)。26日午後になって確認が取れ、県警が発表した。防犯カメラには、手袋をして駐車場から敷地内に侵入する姿が写っていたという。手袋は指紋を残さないためだとみられる。またカメラには夫婦らをハンマーのようなもので襲う姿も一部記録されていた。夫婦宅では当時、火災も発生。1階と2階の一部の計約30平方メートルが焼けたが、現場からは油成分が検出され、一部溶けたポリタンクも見つかった。県警は、逮捕された斎藤淳容疑者が火を放ったとみている。殺害はかなり恨みがこもっていたとみられ、遺体の判別に時間がかかった。顔を鈍器でめった打ちにされていた為、本人と判別ができないほどぐちゃぐちゃだったという。調べに対して斎藤容疑者は『言いたくありません』と答えている。● 弊社の大切な社員の一人でしたクリスマスを家族と過ごすために帰省していた娘のソフィアナ恵さん(32)は渋谷区の広告代理店に勤めていた。近所に住む人によると、ソフィアナ恵さんはほがらかな人で、最近も母親の泉さんと仲良く買い物する様子がみられたという。SNSなどによると日本で生まれ育ち、2009年からは海外の大学に通っていたが、2015年に日本に戻ったとしている。ソフィアナ恵さんが勤務していた会社は27日、以下のようにコメントを発表した。「ソフィアナさんの訃報に接し、社員一同とても驚き、大きなショックを受けています。ソフィアナさんは明るく、また非常に優秀で、弊社の大切な社員の一人でした。ソフィアナさんならびに亡くなられたご両親のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族・ご友人の方々に対し衷心よりお悔やみ申し上げます」ソフィアナ恵さんは、社内のインタビュー記事で、自社で働くことの魅力についてこうこたえていた。「(クリエイティブな環境で働くことの魅力は)クリエイティブな職場には限界がないところです。限界があるとしたら、自分が自分自身にかけている限界です。どんなことだって可能です」その発言が、仕事に対する前向きな姿勢を表している。このような可能性を感じさせる女性が理不尽に殺害されてしまった事が惜しまれる。● 学校でもモテる方だった自分が育った住宅団地を恐怖のドン底に突き落とした斎藤容疑者は、どういう人物だったのか。近所の女性はこのように語っている。「私の娘が1学年下なのでよく覚えていますよ。このニュータウンは平成元年(1989年)に一斉に建ち始めたので、その頃に引っ越しされてきているはずです。昔はご両親と、2歳年上のお姉さんと住んでました。小中学生のころはスポーツが得意で、長髪で、学校でもモテる方だったみたいです。最後にお見かけしたのは半年前くらいですかね。頭髪や容姿に昔の面影は感じられなかった。そのときは、何年も前から放置されていた庭の手入れを、業者に頼んでいたみたいです。ご両親は10年前に離婚し、お母さんが残りました。その後お母さんも出て行ってしまい、お姉さんも5年以上前にどこかに転居された。お姉さんも綺麗な方で、特に不満があるような家庭には見えませんでしたし、本人も小中学校時代は、明るく友人と登下校するなど活発な男の子って感じでした。娘にも連絡したんですけど、昔の印象があるからか、驚いてました」容疑者は現場の住宅から家族が出て行くなどして、長い間1人で暮らしていたとみられる。近所の人によるとゴミ出しなどで顔を合わせることはあったと話す人もいますが、目立った交流はなかったという。容疑者の自宅近くに住む80代の女性は「以前、自治会の用事で自宅のインターホンを押した時は反応がありませんでした。ごみ出しの時などにあいさつしたときは特に変わった様子はありませんでした。ただ、日中でも家にいて、仕事をしている様子はなかったので、どうしたのだろうと思っていました」と話していた。● 当時製作していたという『ギフト(仮)』斎藤容疑者は幼少期から映画が好きで、「夢は業界で働くことだった」(父親)。斎藤容疑者は大学卒業後に本格的に映画を撮り、2005年には国内の短編映画祭で作品が上映された。22年に「ドライブ・マイ・カー」で米アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督らの作品も上映された映画祭だった。短編映画のコンテストなどで受賞歴もあったという。斉藤容疑者を知るAさんが語る。「斉藤くんは15年ほど前に映画製作をしており、その繋がりで知り合いました。彼は大阪芸術大学卒で、ある映画祭の助成対象に選ばれた監督でした。しかし、作品がクランクアップした後、編集中に思い詰めてしまったようで、未完のままスタッフとも音信不通になってしまいました。彼の自宅、あのニュースにも出た白い家を何度か訪問したことがあります。『親の持ち家にひとりで住んでいる』と聞いていました」Aさんは「穏やかな印象だった」と振り返る。斉藤容疑者が当時製作していたという『ギフト(仮)』は、家具屋で働く青年がHIV陽性の告知を受けるところから始まる社会派映画だった。彼のブログには企画意図が以下のように説明されている。〈断絶の間から何か見出したい、拾い上げたい、という思いがあった。白と黒、生と死、キャリアとノンキャリアなどの間からである。「建設的であろうとすること」が、この作品の最も重要なテーマである。>記事では『“生と死”をめぐり社会に真摯な問題提起をしようとしていた若きクリエイターは15年後、殺人事件の容疑者となった。』と書いているが、その15年間に彼の身に何があったのだろう。また、約1年前にビショップさんの車に酷い傷がつけられるトラブルがあり、斉藤容疑者は器物損壊の疑いで逮捕されたが、その後不起訴になっているとの事。被害者は、ことし1月に容疑者が車を傷つけた疑いで逮捕された際、警察に対し、「容疑者のことを知らない」と話していたことが捜査関係者への取材でわかった。そのトラブルとしてあげられていた車の件は、そもそも何がきっかけだったのかが、気になるところだ。参照:「昔はサッカーがうまくてモテていたのに」ハンマーで顔面を殴打! 死因は頸椎損傷   《飯能3人殺害》斉藤淳容疑者は元映画監督、知人が回想「前途も才能もある若者だった」   斎藤容疑者、映画祭で作品上映や受賞歴も 飯能市の親子3人殺害事件 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ