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東京古城址探索(1)都内城北地域(2022/12/09) 

2022年12月12日 外部ブログ記事
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 海外を含む遠距離旅行を自粛中なので、近隣の名所(?)旧跡を探り歩いている。今回は、都内に残る古城址の探索。一回目としてはあ、城北の三か所。<<葛西城址(現在:葛西城址公園・御殿山公園) 場所は京成本線青砥駅から北へ約1.1q、環状七号線が日光街道と交わる手前で、環七に区切られた、左手の御殿山公園、右手の葛西城址公園。説明板等は、御殿山公園内に見られた。中川の沖積微高地上に築かれた平城で、築造者・築造年代は不明だが、16世紀中頃に北条氏により落城との記録があり、その後北条氏の城となるも、江戸時代には幕府鷹狩りの休憩・宿舎(青戸御殿)として利用されていたようだ。<<稲付城址(現在:静勝寺)>> JR赤羽駅から徒歩5分ほどの高台。16世紀中頃、江戸城と岩槻城(埼玉県)の中継地点として太田道灌が築城。三方を丘陵に囲まれ武蔵野台地端の天然の要害。境内の「道灌堂」には木造太田道灌坐像が残されている。死後200年以上後に造られたものだが、その風貌を伝える唯一の木造として貴重なものとのこと。開扉は毎月25日で、この日は拝観することはできなかった。道灌の死後、子孫が寺とし道灌を弔ったきた。寺に残る17世紀末に書かれた「静勝寺除地(よけち)検地絵図」には、城の空堀の遺構が描かれ城塁配置を推察することが出来るとのこと。丘の上の境内は狭いが、モミジ・銀杏などが綺麗だった。 又、本堂前に一対の狛犬、神仏習合の名残か、仏教寺院では珍しいのでは。<<平塚城址(現在は平塚神社>> JR上中里駅から蝉坂を登った右側、平塚神社辺りがその場所と言われている。練馬区の石神井公園近くにある石神井城の支城だが、15世紀後半に太田道灌により落城させられた。平塚神社は伝承地であり城址でない可能性もあるとのこと。城址を想像されるものは、境内の摂社(末社?)の説明文に平塚城の記述をみたのみ。境内は銀杏の黄色が眩しかった。 この後、平塚神社の正面から王子方向に歩き地下鉄西ケ原駅から帰途。

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