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神奈川名所旧跡探索:伊勢原市北部(2022/12/8) 

2022年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



? 神奈川県内の名所(?)古跡を歩き周っている。今回は、伊勢原市の大山阿夫利神社に向かう途中にある太田道灌絡みの旧跡等。 小田急線伊勢原駅から大山ケーブル駅行きのバスに乗車、途中「石倉橋」で下車。ここからなだらかな下り方向に散策開始。<<御領原古墳群>> 石倉橋交差点を左折した辺りが古墳群の場所。東名高速道などの建設で存在が確認された古墳群の様だが詳細は不明。Gogleマップで示された場所には案内板も見つけられず。住宅につながる私道(?)の傍に小さな円墳の様な塚を見つけたのみ。<<上粕屋神社>> 室町時代にこの辺り治めていた上杉家の鎮守であった神社で、この神社の裏手には上杉館の空堀と言われている窪地が見られた。上杉館は、この場所から坂を上がった産業能率大学構内のようで近づけない。銀杏の紅葉(?)が綺麗な境内。<<七ツ塚(七人塚)>> 少し下った先の集会場の裏手に小さな石塔が集められた場所が「七ツ塚(七人塚)」。太田道灌が主君上杉家の内紛から諫言により暗殺されたとき最後まで敢然と戦った道灌の部下七人を祀ったものとのこと。<<太田道灌の胴塚と道灌開基の洞昌院>> 更に下っていくと、駐車場の左手に「太田道灌公之墓」の大きな石塔。その左奥が「太田道灌の胴塚」。暗殺された道灌は洞昌院で荼毘に付され、首は南東約3q離れた下糟屋の大慈寺傍(2022/10/20訪問済み)に「首塚」として、胴はこの地に「道灌さんの墓」乃至は「胴塚」として埋葬されたとのこと。胴塚の傍には以前は高い樹があったのか残された幹に錆びたトタン屋根が付けられ少々見苦しいことが気になった。 太田道灌開基の洞昌院には、「太田道灌公霊廟」や、この時期は葉の散った壮大な枝垂桜があり桜の時期の綺麗さが予想できた。<<上行寺>> 更に500mほど歩くと上行寺。この寺は元々は都内にあったものが、昭和30年代にこの地に引っ越してきたとのことで、江戸時代の有名人の墓(由井正雪の乱(慶安の変)の首謀者の一人である丸橋忠弥、俳人宝井其角、将棋名人大橋宗桂、解体新書の翻訳に参加した蘭医桂川甫周)を見ることが出来る。境内には、吉原遊郭にあった蘇鉄の子孫が「遊女嘆きの蘇鉄」として植えられており、江戸を感じる寺。 この後、大山阿夫利神社参道二の鳥居傍を通り次の目的地へ。尚、阿夫利神社参道一の鳥居は、20q程離れた藤沢市にあるとのことで、江戸町民の大山参りと江の島観光がセットの成っていたことが想像される。<<古民家山口家住宅・雨岳文庫>> 国の登録有形文化財に登録されている古民家山口家住宅とその庭先にある古文書が集められた雨岳文庫。内部は、民家でありながら武家屋敷の様式なども持っているとのことだが、公開日で無く内部は見れなかった。唯、屋根がトタンで覆われているのは残念。<<五霊神社>> 東名高速道路下のトンネルを抜けた先にあるのが五霊神社。この神社は15世紀末に北条早雲が非業の死を遂げた太田道灌を追悼して建てとのこと。由緒の割には、あまり手が入ってようで残念。<<伊勢原大神宮>> この日最後は、五霊神社から約1q下った「伊勢原大神宮・。この神社は、江戸時代初頭に伊勢出身者等により、伊勢神宮より祭神を勧請して創建された神社。そのため境内には、伊勢神宮同様、内宮・外宮が備わっている。伊勢原の名前の元になった神社の様だ。この後、伊勢原駅まで歩いてこの日の探索終了。散策での楽しみの一つは、予想していないものを偶然見つけることで、今回は途中見つけた道祖神等。何とも言えない親しみを感じる。

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