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たかが一人、されど一人

後悔先に立たず 

2022年10月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日も書いたが、世の中の雲行きは不透明さを増すばかりで、友人に言わせると持てる預貯金も紙くずになりかねないそうだ。そんな嫌な世の中だが生きてる限り毎朝何かを考える。たまたま昨夜、NHK・BS1で百名山として故郷の「戸隠高妻山」が取り上げられたので思わず見入ってしまった。ここには一度しか登ったことはないが、深い思い出と共に同じく深い悔悟の念がある。それは弟と二人での登山だったこと。前夜長野の弟宅で泊めてもらってのことだった。古い記録を調べると2009年10月11日。当時は未だヤマレコを残す知恵がなかったが、数枚の写真だけがクラウド上に残っていた。写真データを頼りに記憶を辿ってみた。最初の写真の撮影時刻は8:12。昨夜のテレビによれば滑滝と言う最初の難所らしい。それから見晴らしの良い場所で数枚の写真がある。何れも昨夜のテレビでも紹介されいた。12:00ジャストに山頂標識の脇に立つ自分の姿がある。恐らく居合わせた登山者に頼んで撮ってもらったのだろう。何が問題かと言えば、弟の写真が1枚も無いことだ。弟の到着が30分以上遅れてのことだった記憶がある。弟も山が好きで、小中学校の教員だった故に県内の山は殆ど踏破しつくし、色々教えてくれたものだった。ただこの日に限って調子が余程悪かったのだろう、五地蔵岳の休憩の時「少しゆっくり行くから先に行って山頂で待っててくれ。」と言われたのを真に受けてしまったのだ。今にして思えば、あそこで一緒にゆっくり休み、彼の調子を見ながら先を考えるべきだった。山は登りもきついが降りはもっときつくなることがある。現在では山歩きの度に経験しているのでよく分かる。大腿部の筋肉痛、膝が抜けて力が入らずバランスが取れない。先日の飯縄登山でも8合目から下山したのもその予感だった。しかし弟はもともと凄いがんばり屋、弱音を吐きたくなかったのだろう。13時近くなって一緒に下山を始めたが、後ろから見ても相当ふらつきながらゆっくり歩いていた。あの姿は13年以上たった今でも忘れられない。やっとの思いで登山口近くの車のところまで来て「運転を代わろうか?」と聞いても「大丈夫。」とのこと。真っ暗になって弟宅に帰宅したが奥さんが、凄く心配していて叱られた。奥さんは未だ健在なので、今でも小生を恨んでいるだろう。仲間の痛みが分からない人間は他人を山に誘ってはいけないのだ。

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