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伊勢原 古跡散策(2022年10月20日) 

2022年10月21日 外部ブログ記事
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 行程は、伊勢原駅南口ー(1q)→八幡台石器時代住居跡(山王塚公園)ー(1.5q)→岡崎城址(無量寺)ー(1q)→大句バス停ー(バス)→伊勢原駅南口ー(1.5km)→丸山城址(高部屋神社・丸山城址公園)ー(0.5km)→石造多宝塔(普済寺)ー(0.5km)→大慈寺・太田道灌の首塚ー(1.4km)→伊勢原駅北口<<八幡台石器時代住居跡(山王塚公園)>> 丘の上の住宅街にある山王塚公園に説明看板だけで遺跡らしいものは見当たらなかった。説明によれば、縄文時代の敷石住居群や、旧石器時代の石器等が発見されたとのこと。遠くに大山の南側山稜越えに富士山が見えた。先史時代の人類も眺めの良い場所に住居を構えたようだ。<<無量寺・岡崎城址>> 鎌倉時代の武将岡崎義実(三浦義継の四男)が築城した岡崎城で、北条早雲の猛攻により落城後、本丸跡に建ったのが無量寺。岡崎城を思い浮かべられるものは、案内板と朽ちかけた石碑以外に見当たらなかったが、小高い丘の上で統治には便利な場所に思えた。<<高部屋神社・丸山城址公園>> 10世紀前半創建で、上り旗に式内社であることを誇示している高部屋神社。重厚な社殿(建てられたのは江戸時代末期)と、その後ろに通路を挟んで本殿(17世紀中頃創建の建物の柱と彫刻を生かした関東大震災後に再建)は趣があった。背後の国道246号にかかる橋を渡ると丸山城址公園。発掘調査により鎌倉時代の城址でなく室町時代後期の城跡とのことで、公園はあるが城址を想像させるものはここも看板のみ。<<普済寺>> 見どころは、19世紀初めに造られた高さ6mの石造多宝塔。傍に立つ説明板によれば、江戸時代後半幕命により、この地の僧侶が北海道に派遣され民生の安定に貢献した事や北辺の地の安泰を祈願して建てられたものとのこと。特異な形の多宝塔。<<大慈寺・太田道灌の首塚>> 太田道灌は現在の伊勢原市内滞在中に暗殺されたとのことで、市内には太田道灌所縁の場所が多い。ここもその一つで、位牌のある大慈寺(開山は道灌の叔父とのこと)。道路挟んで渋田川沿いにある太田道灌の墓(首塚)。市内にはもう一か所道灌の墓所が、暗殺されたといわれている場所近くにある(胴塚)ようなので次回訪問したい。 100日振りの古跡散策で疲れたが、気候も良くなったことなので散策を再開しようと思う。

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