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阿波の局のブログ

「見えすぎる社会」をどう生きるか 続き 

2022年10月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



・ 「キラキラしていないけれど魅力的な人生」に触れるべき? 他者への想像力を養うには「キラキラしていないけれど魅力的な人生に触れること」かつては文学なり映画なりが想像力を養う類似的な場所として、あった。木下恵介“女性の愚痴を描いたら第一級”といわれた映画監督そうした作品が理解されなくなっている? 若者が「キラキラしたものしか見たくない」ぱっと見の印象だけを重視する演出が増えている。? 病気とデイケアの体験から、他者への配慮とは「その人が今、回している生活のサイクルを尊重すること」傍から見たら、感心できない、正直ダサくてイタいサイクルを回していても犯罪的行為に及んでいないのであれば、頭ごなしに否定しない。その人の人生に思いをはせてみる。それが真の意味でのダイバーシティよなは・じゅん 評論家。元歴史学者。1979年、神奈川県生まれ。2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。当時の専門は日本近現代史。15年まで地方公立大学准教授として教べんを執った後、17年に病気離職。20年、共著『心を病んだらいけないの?――うつ病社会の処方箋』(新潮選書)で小林秀雄賞。 🍀🍀🍀信心の世界では、「愚痴は福運を消す」と言われる「人に語れば愚痴となりご本尊に語れば祈りとなる」とも苦しい時は、苦しいと辛いときは、辛いといえる人がいるのは、悪いことではないと思う辛い、苦しい、悲しいそういう経験があれば同じ境遇、悩みを持つ人に同苦出来るし、共感できる人には皆仏性がある仏界の生命を持っているだか、凡夫だから病気もするし失敗もするどんな姿でも100点満点と信じるのが信仰者のネガを受け入れるということではないか?

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