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“ひろゆき離れ”沖縄抗議団体めぐり大炎上!と、言うけれど 

2022年10月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


「ひろゆき離れ」がトレンド入りした。というので、何の事かと思えば、沖縄・名護市辺野古の抗議運動に関して投稿したツイッターから発したことのようだ。10月3日、西村博之(ひろゆき)(45)は自身のツイッターに、沖縄・名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れたことを報告。基地問題を巡り、同地では14年から抗議活動が続いていて、ひろゆきは「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」と無人だったという座り込み現場の写真を投稿した。● 逆にツイッターのフォロワー数が増えて「確かにひろゆきさんが投稿した写真には、座り込みをする人はうつっていません。しかし、辺野古の座り込み行動は、工事のための車両が来る9時、12時、15時に合わせて行われているといいます。この投稿には、6日18時時点で27万を超えるいいねが付いているいっぽう、こうした情報を踏まえない投稿内容に、『基地建設反対運動を揶揄している』という批判が殺到しているんです」ひろゆきは『座り込み、と書くと多くの日本人は半日くらいいるのかとか人が交代して24時間いるのかと思ってしまう』『実態と違うなら実態をきちんと書くべき』などと述べた。この投稿がきっかけで、抗議活動や基地問題について多くの議論が交わされることとなった。沖縄県の玉城デニー知事も苦言を呈すなど、大きな反響を呼んでいる。そんな中、ひろゆき氏の発言を問題視したファンが「ひろゆき離れ」しているとして話題になったとの事。でも、これだけマスコミに出続けて、ひろゆきがツイートした内容や番組で発言したことがすぐにニュース化されている現状で、「ひろゆき離れ」もないものだ。7日放送の「Abema Prime(アベプラ)」で、この「ひろゆき離れ」について聞かれたひろゆきは「離れている実感はなくて、逆にツイッターのフォロワー数が増えて困ってます」と余裕の表情をみせたという。「“ひろゆき離れ”の結果をお知らせします」といい「SocialDog」というツイッターアカウント運用ツールのデータを添付。そこには、直近1か月でフォロワー数が約14万人増えたと示されていた。10月8日、ジャーナリスト有田芳生氏(70)が同日、ひろゆき氏の沖縄・辺野古に関するツイートや対応を理由に、統一教会問題についてひろゆき氏と対談した書籍の出版を断ったと明かした。そのことについて、「残念です」などとするコメントをひろゆきが投稿した。フォロワー数が増えても、雑な発言をすることによって、離れていく人は確かに存在する。実業家・田端信太郎氏から、この件について感想を聞かれた 実業家のホリエモンこと堀江貴文(49)は「俺さ、ひろゆきブロックしてるから見れないのよ」と言いながら「面倒くせぇ」とバッサリ。「あの人ってさ、そういうくだらないこと茶化すの好きだよね…どうでもいいよ」と、あきれ返っていた。まだ、不仲は続いていて、これはもう仲直りなんてことはないのであろう。● 沖縄米兵少女暴行事件辺野古の米軍基地建設の反対に関しては、さかのぼれば1995年9月、海軍と海兵隊の3人の米軍兵士が、12歳の沖縄の少女を誘拐・暴行した沖縄米兵少女暴行事件までたどり着く。1995年(平成7年)9月4日午後8時ごろ、沖縄県国頭郡金武町のキャンプ・ハンセンに勤務するアメリカ海軍水兵マーカス・ギル(22)、ロドリコ・ハープアメリカ海兵隊一等兵(21)、ケンドリック・リディット海兵隊一等兵(20)の3名が基地内で借りたレンタカーで、沖縄本島北部の商店街で買い物をしていた女子小学生(12)を拉致した。小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた、その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦され、負傷した被害少女に配慮し、地元紙の琉球新報と沖縄タイムスも当初、慎重な報道だった。しかし、この事件は日本国内のみならず海外においても関心を集めた。県民の衝撃は大きかった。基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代(82)氏は「ハンマーでたたかれたようなショックを受けた」といまも声を震わせる。直ちに在沖米軍や日本政府宛てに抗議文を送り、記者会見を開いて怒りを訴えた。この2年前にも、県内で女性(19)が暴行された。基地被害の救済に取り組んできた高里氏は、被害女性を支援するつもりだったが、加害者の米兵は米本国まで逃亡。連れ戻すまで4カ月かかり、女性は訴えを取り下げた。「あの時の後悔を思い出した」という。沖縄県警は、基地内で米側が拘束した3人の身柄引き渡しを要求した。だが日米地位協定を盾に拒否された。地位協定は、公務外で犯罪を起こした米軍人・軍属が基地内にいる場合、日本側が起訴するまで米側が身柄を持ち続けると定める。起訴前には関与が明らかでもアメリカ兵に対し逮捕状を執行できず、アメリカ兵の身柄を日本側に引き渡して取調べるという実効的な捜査手段を採ることもできなかった。このことが大きな問題になった。口裏合わせや証拠隠滅の恐れなど捜査への支障があるが、米側は現在に至るまで、一貫して改定を否定。県民の怒りはこの理不尽な協定にもぶつけられていった。(起訴とは、裁判所に対し申立人(検察官、原告)の請求について判決をするよう法定の手続に従って求めることで、起訴は、起訴状を提出してしなければならない。)そんな中、日米政府は地位協定の運用改善に動き、重大犯罪では米側が身柄引き渡しに「好意的な考慮を払う」ことになった。ただし、米側の態度に委ねられていることには変わりはない。● 在日米軍専用施設の約70%が集中の沖縄事件は、物議を醸している普天間飛行場(ふてんまひこうじょう)【宜野湾市(ぎのわんし)】の移設を要求する原因となった。日米両政府は1996年に普天間飛行場の返還に合意したが、移設を条件としており、実現していない。2018年8月11日、米海兵隊普天間基地を宜野湾市に比べて人口の少ない漁村である辺野古に移設することに反対して、多数の人々が沖縄県の県庁所在地である那覇(なは)に集まった。基地反対者は、基地が島を横断するのではなく、島から完全に移転することを望むと主張。一部の環境保護団体は、湾内のサンゴやジュゴンに悪影響を及ぼす可能性があるとして、辺野古への移設に反対を表明している。2020年9月11日投開票の沖縄県知事選で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に「反対」を訴えた現職の玉城デニー氏が再選した。しかし、岸田政権は普天間飛行場の危険性の除去のためには辺野古への移設が「唯一の解決策」との考えは変えていない。岸田文雄首相は、2020年に「核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志」という本を出版しているが、 辺野古への対応に関して”勇気ある平和国家の志”はどこにも感じられないものだ。基地建設反対運動に関して、根本から理解しようとすれば色々と関連した事柄を知らないとこの座り込みの意味がわからず、中途半端な理解で終わってしまうと思われる。日本の国土全体の0.6%にすぎない沖縄県に、在日米軍専用施設の約70%が集中していて、33の米軍施設の中には、市街地の中心に位置する基地もある。沖縄本島の18.2%を米軍基地が占めているというこの現状。ひろゆきも、自分が責められたことへの弁解はいいから、この件に関してきちんと調べてわかりやすい全体の話から説明してもらいたいものだ。聞かせる力は充分にあるのだから。参照:辺野古移設再び「ノー」 それでも「粛々と進める」冷静装う岸田政権   辺野古抗議に「『座り込み』という言葉のせいで騙される」ひろゆき応酬   ひろゆき氏「“ひろゆき離れ”の結果をお知らせします」フォロワー数はまさかの…   12歳少女が3人の米兵に暴行され…それでもアメリカに物言えない政府 

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