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たかが一人、されど一人

神や仏 

2022年07月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 人は誰しも生老病死の四苦からは逃れられない。だからだと思うが、人智を超すとされる神に救いを求めても不思議はあるまい。どんな理由があったか知らぬが、父が外地から帰国して家族が一緒に暮らした我が家には神棚と仏壇が無かった。代わりに父は毎朝庭に降りて、東に向かって数分合掌してなにか祈っていた。父の実家は曹洞宗であることは知っていたし、その後大分経ってから、父が上田市にある実家の寺と縁を切り、新たに長野市内の曹洞宗寺の檀家となったことを知らされた。その時聞いた父の言葉「私が先祖となって墓を作るから、将来は皆一緒に入るが良い。」こちらは「はい、そうします。」安請け合いをした。しかしその後兄弟の一人がキリスト教系の別宗教に入信したので、葬儀は兎も角、父の作った墓に納骨するのは一苦労だった。また家内の他界では、最初都内の何処かに納骨しようと思ったが、娘が二人揃って猛反対。結局長野の墓に納骨することになった。世の中には無宗教を信条とする人も居て、その人達を羨ましく思うこともあるが、上記のような経緯があり、自分としては一人前の仏教徒になったようなもので、家内の位牌を置く仏壇も設え、毎朝水とお茶を供えて合掌する習慣になってしまった。形式的には仏教徒のようでもあるが、教祖である道元禅師の教えを学んだことはない。ただ仏教という宗教はあまり難しいことを言わず、戒律も少なく、三宝(仏法僧)を厚く敬っていれば良いものと勝手に理解している。個人的には中で最重要視してるのが仏、即ち先祖だ。毎朝合掌するのはお釈迦様たちの守り神と同列で神格化している。と言うのは、未だ5歳位の昔、祖母と二人だけで祖母の生家で仏壇の前で聞いた話が忘れられないからだ。祖母曰く「仏壇に祀られているお前の先祖は、ずっとお前を見守っている。たとえ世界中がお前を悪人だと責めても、ご先祖様だけはお前の味方だ。だから線香を焚いてお参りをするのだよ。」80歳を越して尚この話を信じてるのは馬鹿みたいかも知らぬが、本当の話だ。宗教の教団が乱立してるのは何も日本や韓国だけではないだろう。冒頭書いたように宗教に救いを求めるのも人間の性だ。そして宗教にはお布施がつきもの、お布施無用の宗教団体は極めて少数だろう。しかし信者を食い物にする宗教が多いのは困ったことだ。

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