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想いを変えて、超偉大な先生を悼む。 

2022年01月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



たくさんの友人に事件を伝え、嘆きを訴え、聞いていただいたことで、落ち着いて、やっと気づきました。


私は自分の悲しみばかり考えていた。先生の身になっていなかった。
先生はさぞ無念であったろうと勝手に思い、犯人を憎んだ。


然し、鈴木先生は違うのかも?。起きてしまった事態を嘆きながらも、犯人を理解されたと思うのです。犯人の精神がどう病んで、何が行き違ってこの事態になったか。
殺人まで犯させてしまって、可哀想だったなと同情されているのではないかしら?。


【あれだけ利他愛に徹した方だから、犯人を理解し同情されたはず】


そう感じたら、涙の意味が違ってきました。恨みや憎しみは喜ばれない。
先生はもっと崇高な高みにおられる。きっとそう。


そうして、肉体を離れた精神は自由なはずだから、千の風になって、気になる人のところを見回っておられるのではないかしら。
一緒に撃たれた方の病床、ご家族のところ、クリニックや訪問看護ステーションのみんな。担当の患者の家々。瞬間移動して、見回っていらっしゃるのではないかしら。


鈴木先生を忘れない。尊敬する思いを忘れない。先生への愛を抱き続ける。
それが大事と思います。


患者としてはこの事件のショックで容態を悪化させてはならない。と言うことに尽きると思います。
だから先生の言いつけを守って、ちゃんと食べて眠らなきゃいけない。涙は流れるままでも、食べて眠るのが私の義務かも。食べられない、眠れないなんて言っていたら先生が悲しまれる。
そう感じたら事件後初めて7時間眠れました。





週末は遠慮していたケアマネさんへの電話もしました。
涙涙、ケアマネさんたちもあの日は仕事にならなかったそうです。
2市1町の在宅医療の要だった鈴木先生。二ヶ所の拠点で300人以上を引き受けて、率先して夜中まで駆け回られていた先生。
失われた存在が大きすぎて、2市1町が大混乱のようです。
居てもらわなけりゃどうにもならない先生なのに、居なくなってしまわれた。悔しいの一言ですね。ケアマネさんとも声を詰まらせて話しました。
「ちゃんと食べて眠ること。先生の指示はどうにかまもっています」とは伝えました。

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