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平成の虚無僧一路の日記

新選組斉藤一会津に眠る 

2021年10月18日 外部ブログ記事
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『新撰組斎藤一(53歳当時)家族写真』


この写真が撮影された明治30年は日清戦争の直後で、斎藤は東京高等師範学校で撃剣師範を務め、若者たちを鍛えていた頃。斎藤の剣技は衰えることなく、その竹刀には誰ひとり触れることすらできなかったといわれる。そういわれてみると、くつろいだ家族写真ながらも、幾多の死線をくぐり抜けてきた剣士の鋭い眼光を感じる。 
(軍服姿の長男・勉と着物姿の次男)


『妻 時尾について』


高木時尾は会津藩大目付・高木小十郎の長女として生まれた。母の藤田克子は大変な美人であったらしい。長じて時尾は会津藩主・松平容保の姉・照姫付きの祐筆となる。
斉藤と時尾さんの結婚の仲人は、会津藩主松平容保公、同じく会津藩家老だった佐川官兵衛と山川浩、倉沢平治右衛門が下仲人を務めています。


じつは斎藤一にとって時尾は2人目の妻。はじめ斎藤は、篠田やそという女性と結婚したらしい。やそはあの悲劇の自刃をとげた白虎隊士・篠田儀三郎の遠縁にあたる女性とのことだが、ふたりの間に子どもはなく、数年で別れてしまった理由もよくわからない(なお、最近では、斎藤一は篠田やそさんではなく、時尾さんが初婚だという説もあるらしい)















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