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たかが一人、されど一人

おもてなし 

2021年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日も少し触れたが、若い頃から山小屋の番頭見習いをしたので、多くのお客さん、それも殆どが先輩に接することが出来た。仕事は布団上げ下ろしから始まり、掃き掃除に雑巾(モップ)がけ、薪割りとストーブの火入れ、炬燵の炭入れ、風呂焚き、ゴミ捨て(これは雪を掘り更に地中を掘って生ゴミを捨てる重労働)、配膳と料理の手伝い(唯一料理がマヨネーズ作りで兄貴分の番頭さんと二人で卵黄にサラダオイルを垂らしながら何十分も泡立て器でかき混ぜるのだ)することが結構多いので、我々二人の番頭がスキーを出来るのはお客さんの昼食が終わり、その片付けを終わった後のこと。当時のお客さんは3食付きが常識だった。2時近くにスキー場に出て精々2時間、風呂焚きに間に合うように帰ってこなくてはならない。今考えると少し労働条件がきついと思わないでもないが、当時はそれでも楽しかった。お客さんたちは夕食が終わるとストーブの周りに集まりスキー談義だけではなくいろいろな話をしてくれた。中には大学の先生や大学生もいたし、公務員が多かったかな。当時は国立公園部局が厚生省内にあった関係から厚生省関係者が多かった。中で頻繁に来ていた人に海軍特攻隊の生き残りの人が居て、ゼロ戦の話を夢中になって聞いたことを思い出す。もちろんこちらはお客さんとは立場が違うので、座り込んでお茶やお酒を気安く飲むわけにいかない。お客さんの明日に備え、道具の手入れやワックスがけに精を出さねばならない。そのへんの間合いのとり方が全て山小屋のもてなしだった。お客さんも段々慣れてくると、次回来る時にお土産を持ってきてくれたりして段々仲良くなってくる。時には子供連れできて、丸池にあった小屋から遠出して横手山まで行きたいなんてお客がいた時は、小屋の主人の指示で小屋の仕事はしなくてもいいからと、荷物持ちのお供を仰せつかったりした。これも楽しい思い出になっている。今日の昼飯を食いに行った紀尾井町のあるレストラン、ここのホール担当者のサービス振りがとても良かった。頻繁に行く店ではないのに明らかにこちらのこと記憶しているみたいだ。今回のオリンピックで日本は、招致に当たって「おもてなし」をうたった。7年か8年前の約束は悉く破られているから言っても詮無いが、「もてなし」は客人の居心地を良くしてあげることだ。もてなしを受ければ客は東京について良い思い出を作ることになる。競技に入賞でもすればそうなるだろうが、そうでない大多数は果たしてどうだろうか?

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