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金田博美、金田朋子

自費出版「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して 

2021年07月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



本の一部を抜粋しましたので、よろしかったらAmazonや書店にてご注文を頂けたら幸いです。目次一、戦争の記憶を紡ぐ二、フィリピン慰霊巡拝団申申込三、なぜこの少年が戦死しなければいけないのか四、戦場ヶ原公園・忠霊塔五、戦没者・戦災殉難者合同追悼式六、故郷の神社(豊神社)七、祖父の葬儀八、勲八等白色桐葉章九、戸籍謄本・過去帳・墓石一〇、死亡者生死不明者原簿一一、臨時陸軍軍人(軍属)届十二、兵籍簿一三、NGO一四、個人調査票一五、『巡拝と留魂』一六、小林兵団阪東隊一七、祖父について一八、フィリピン慰霊巡拝出発一九、フィリピン慰霊初日二〇、フィリピン北部慰霊(ツゲガラオとバシー海峡慰霊) 二一、フィリピン中部慰霊(オリオン峠とバレッテ峠)二二、フィリピン南部慰霊・祖父の現地追悼(ラムット川とモンタルバン)二三、祖父への手紙二四、戦没者合同追悼式二五、祖父の戦歴二六、家族本文より抜粋【10頁】戦死した祖父操は、特別な武勲(ぶくん)をあげたわけではなく、上位の階級でもない。戦地からの手紙や遺書は無く、骨壺の中には何も入っていない。だが、戦後七五年が経ち振り返ってみると、時間の風雪は過酷だ。戦争を知らない世代は令和産まれも七五歳の人も同じであり、昭和、平成、令和と歩んできた戦争を知る世代は高齢化が進み、戦後を知らない世代は日本の総人口の八割を超えている。私も祖父について知っている事は、僅かな写真とフィリピンで戦死したという事だけだった。【17頁】姉弟で緊張して写真に写っているこの少年は、三七歳で召集され、三八歳の五月に日本から遠く離れた南の島で戦死する事を知らない。

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