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たかが一人、されど一人

お手本 

2021年07月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 未だ認知症には至ってないと思うが、先月までやや思考停止状態に陥っていたことに気がついた。ここで気が付かなければ前向きなことが考えられず、漫然と死を待つだけだったので、覚醒してこれから新しい課題を見つけたいと思い始めたところだ。その意味で先月6月は悩みながらであったが、有意義な1ヶ月だったとしたい。命があと何日か何年かなんて考えず、1日1日をゆっくり焦らず過ごせば良い。昨日急に考えが変わったきっかけは、中国共産党結成100年式典の報道、特に習近平国家主席の演説だったと思う。今は日本人の多くが中国のことを嫌ってるようだが、子供時代に両親から「日本文化はすべて中国からの輸入、講談本のネタはみな中国の歴史小説にある」と教わっていたので、一定の年齢になってその歴史小説「三国志」や「水滸伝」などを読んで成程と思ったものだ。共産党一党支配になった現在でも頭から嫌いと思っったことは一度もない。特に30歳代に囲碁を知ったことも関係があったりする。仕事で中国に何回か行き、多くの中国人と個人的関係を持ったりしたこともある。中国にもインテリもいるし、そうでない人もたくさんいるくらいの推測はできる。一党独裁は確かだし、それが一種の専制主義でもあり、政策の中でかなりの人権侵害があるのは間違いないだろうが、だから国民の多くが不幸かと言えばそうでもないと思う。勿論中には共産党が大嫌いと言う人も居ない訳ではない。香港人や台湾人には特に多いかもしれない。本国内でも知る限り何人かはいる。昨日習近平氏の演説で感銘を受けたのは、氏が過去100年を振り返って「国家千年の大計からすると、未だほんの一歩を踏み出したところだから、歩みを止めてはいけない」と語ったことだ。誰もが歴史の中で生きてる限り、自分の責務に忠実に生きることが大切で、毀誉褒貶は後の世代に任せるべきと悟った。自分は国家運営ほどの責務は無いが、少なくとも子孫に対して恥ずかしくないものをなにか残す必要がある。それが西郷隆盛が言ったように美田ではないことははっきりしてるが、それに代わる何かを探すのが今後の課題だろうと思い至り、少し目の前が明るくなった気持ちがする。幸い今日も雨模様の悪天候、昼間から蛍光灯をつけたりしてるが、これも自然の成り行き、やがては眩しいほどの天気にもなるだろう。習近平氏は「小康社会」と聞き慣れない言葉を使った。これを自慢と受け止める向きもあるが、大発展と言わないのだから自慢とケチを付ける気にはならない。演説の中には随分勇ましい文言もあるが、彼の演説には手本としたい要素が多くあった。兎も角、この先が長かろうと短かろうと休み休み前向きに行けば良いだけのことだ。

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