メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

鳥羽伏見の敗戦 慶喜公の逃亡 その時わが先祖は? 

2021年06月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



慶応4年1月3日火ぶたを切った鳥羽伏見で敗れ、徳川慶喜、松平容保、松平定敬が大坂城を脱出した後を追って、皆ほうほうの体で江戸を目指す。
八日 早朝より舟を求むるに一艘もなし。力を尽し小舟十艘計りを得手負を載せ中嶋会所へ送り、残りの部は漸く人足を得て同所へ送る。此時砲兵隊長林権助(戦死)隊の巨海源八郎、牧原源蔵、梁瀬武四郎、元白井隊より三浦重郎、両角千代治、杉浦八太郎介抱方の命を蒙る。巨海、牧原等小野内膳より金策し、漸く五六艘を得て天保山に至り蒸気船に移る。
一統は東本願寺に会す。此時土藩の使者来て引取ることを止め、且実情を云て其応対甚だ慇懃なりし。既に四つ半頃出起惣殿して堺に至りて宿す。
?
という。さて、蒸気船に乗ってどこまで行ったのか、東本願寺とはどこの寺か? 江戸へ直行したのではなく堺に着いて一泊したと?

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ