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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

今日は母親大会記念日 

2021年06月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


うちの母親はココがすごい!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう 母は若い頃から苦労の連続でしたね  私が2歳頃伯母(父の姉)が開拓で知床に住んでいたが(いつ行ったかとかは私には分からなかった)、夫が亡くなり息子も亡くし一番身軽(母と私しかいなかった)な父に白羽の矢が・・ やったこともない農業をやる羽目になった母は、どんだけ大変だったか・・ 毎日暗くなるまで外で働いていたから、味噌汁作ったり私は小学生の頃からやっていた  今と時代が違うが農耕馬もいて世話もしないといけないし・・ 妹は知床生まれですが4歳違いで(3学年ですが)、妹が生まれた時のことは覚えていない  私が一年生の時婦人科の病気で網走厚生病院に入院し、多分子宮摘出だったものと思うが男の子を亡くした  そして5年生の時の暮れ近くか火事で自宅が丸焼け、暫らく父の叔父さんの家に居候したのち仙台にに転居・・ 2ヵ月余りかなぁ父の実家に居候、その後農家の納屋をを借りて住んでいたが、その頃から父が鬱を患い母の叔母さん宅で染物工場をやっていて、母の働きで生活保護受けながらもなんとか生活で来ていた  定年前に会社でのトラブルで辞めたが(それも難聴で聞こえないために)、その頃は父も働いていたこともあったし私と妹も働いていて、妹が20歳で結婚する前に土地を求めて自宅を新築  私は15歳で働き始めてから定年まで働きづくめだったから、母は孫の世話を引く受けてくれて晩年は幸せな日々だったと思うが・・ 85歳過ぎて救急搬送されるまで、洗濯も自分でやっていたし今の私よりはるかに元気だった  来年は6月29日で23回忌です  本当は義母の方がもっともっと苦労したと思う  嫁いだ夫は戦死・・生まれたばかりの夫は、一度だけ抱かれたらしかった(28歳です) その後再婚したが私が結婚した時は、義父は他界した後だった  義母の口から「苦労した」って聞いたことないが、舅姑夫と暮らしていても「みんなが他人だった」って一言に義母の苦労が凝縮されていたと思う  やはり実母と同じように救急搬送じゃなかったが、体調不良で病院に行きそのまま2週間入院、寝台車で退院し約2ヵ月訪問介護を受けたが亡くなる寸前まで、車椅子でトイレも行っていた  私は勤めを辞めてから週2で訪ねていたが、いつも畑で育てた野菜を持たせてくれた  91歳の大往生でしたが紙おむつなど何日も使わなかったと思う  夫は戦死息子は(私の夫)交通事故死、辛い大変な一生だったかと思う(涙が流れます) 苦労に耐えた二人の母が、いつも見守ってくれていると思っています  お母さんありがとう  ブログ村に登録しておりますので、「ポチッ」と応援いただくと励みになります。

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