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たかが一人、されど一人

国のかたち「アメリカ」 

2021年02月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 ここ僅か2年か精々3年位のことだが、早朝にNHK・BSで「ワールド・ニュース」を観るのが習慣化して認識が随分変わった。特に変わったのがアメリカに関することかもしれない。それこそ子供の頃からアメリカナイズされるように教育を受け、沢山のアメリカ映画を好んで観て、アメリカン・ポップスに惹かれて育った。アメリカに留学はできなかったが、成人になってから数回アメリカ旅行の機会に恵まれて、アメリカ市民とのささやかな交流を通じたりして、40代後半にはアメリカ感が固定化したように思う。近代化、民主主義国家のお手本としてだ。最近になって、この既成観念が大分間違っているのでは、との疑いがかなり強烈になってきた。最近とはやはりトランプ氏の登場が大きいかもしれない。日本の場合は、外国人が日本を理解しようとする場合、日本をざっと旅行して数人の日本人と接すればだいたい用は足りると思う。ところが、日本人には外国を理解することの難しさがわからない、と言うことにやっと気がついたからだ。アメリカにしても勿論だ。国土の広大さからしても日本人には想像以上のものがある。それ故かどうか分からないが、彼の国の市民は地域社会への帰属意識が薄いのではと思う。在米が長かった友人が教えてくれた言葉だが「家は売るために買い、会社は辞めるために入社する」(離婚するために結婚するは省略)がある。極論すれば彼の国では地域社会のみならず、人間社会より個人を優先するのだから、3億人近い市民を丸めて理解するのは無理なんだろう。日本人の大半は生まれてから死ぬまでどこかしらの組織に属さなければ人間として認められないかの如くだ。特に家の拘束が強く、嫁姑をはじめとして男性も女性も苦労をされたと思う。この大きな差がトランプ大統領の誕生に繋がったとすれば、彼が弾劾裁判で無罪判決を受けた今、意気軒昂であるのも分からないではない。共和党上院議員から7人も弾劾を支持する議員が出ようと、院内総務が「弾劾が否決されたのは、手続き上のことで、彼の行動は恥ずべきもので許されることは無い。」と断じようと、先の選挙でトランプ氏に投票した有権者の相当数が未だにトランプ氏を支持する国。それがアメリカなのだと理解するしか無いだろう。嘗て司馬遼太郎氏が「この国のかたち」なる書を著し、その冒頭でこう述べた。「日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。」すべて読んだ記憶もないが、一分は読んだことだろう。我が結論は司馬氏と正反対、日本が特殊なのだ。兎も角、我が国も歴史から考え始めればそれなりに複雑かもしれぬ。しかし現状を見ればシンプルそのもの、家柄に寄る評価、肩書に寄る評価を排して、もう少し個人が際立つ国であるべきと思う。

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