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たかが一人、されど一人

コミュニケーション手段 

2021年02月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 オリンピック組織委員会のトップ森元首相の発言で、世の中がバタバタと騒がしい。内容的にはどうせ時代遅れの爺さんの話だから、同世代の小生には関心が湧かない。むしろこれを報道するマスコミや、記者会見と言うシチュエーションに興味が行ってしまう。現代は通信手段が発達しているので、世界の要人ともなると喋った内容が瞬時に拡散する。関連することが、高校同期の友人が送ってくれたメールにあったので、考えてみた。友人が送ってくれたのは通信機器の今昔に関する記事。今や電話は家庭の必需品品を超えて個人必携になっているが、少し前までは電話や電報が社会で重要な役割を担っていたと言う話。我々の高校生時代は電話が各家庭に相当普及してたと思うが、それでも市外通話は容易でなかった。冬休みは志賀高原の山小屋で絵アルバイトのようなことをしていたが、家からの電話は隣の新聞社の山小屋にかかってくる。100m位は優に離れていたが、番人の親父と仲良くしていたので、「長野の家に電話が欲しいそうですよ。」と態々言いに来てくれた。それから郵便局まで行って電話をすることになるが、簡単には繋がらないので、暫くそこで待っていなければならなかったこと思い出させてもらった。今や国内はおろか国外ですら、Lineなんか使えば無料で即座に繋がってしまう。いわゆるスマホの普及数は人口を凌駕している筈。小学6年生の孫が持っているかどうか知らぬが、中学生になれば間違いなく持つようになるだろう。本当に便利な世の中になったものだ。この便利さが当たり前の若い人にとっては結構なことだろうが、歳のせいもあろうが、余り結構とばかり言えないような気もする。友人や知人と連絡を取り合う時、特に何かについてこちらの意思を伝えるような場合が特にそうだが、何をどのように伝えるか、一呼吸考えて連絡すのが普通だろう。生来のオッチョコチョイなので、思いついてすぐ電話を手にしてしまうと、用件や意図が明確に伝わったか不安を覚えることもあるし、予期せざる人からの電話に受け答えがまずくなることだって大いに有りうる。東京都の小池知事のように言いたいことはべらべら喋っても記者の質問が気に入らなければ、木で鼻をくくるようなことを言える立場なら良いが、こちらはそうはいかない。常に思ったことが正直に出てしまうので、元首相の森氏にようなことになりかねない。昔の人は何かにつけ手紙を書いたようだ。しかも同じ手紙を2通書いて1通をを自分の控えとして残している人さえいる。こういったことが、正直な人間を形成するのに役立ち、便利な通信手段の発達が、いい加減な人間の数を増やしているとも言えるかもしれぬ。

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