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犯罪者が聖職者になりすます「聖なる犯罪者」 

2021年01月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 殺人まで犯して少年院にはいっていたダニエルは、仮釈放された時に立ち寄った教会で、村の司祭になりすます。いつのまにか村人の信頼まで得て、前科の経歴を偽証し司祭として日常を送る。ところが、同じ少年院に居た男に「すべてを暴く、金をくれ!」と脅され、事態は思わぬ方向へ転がりだす。という、ポーランド映画のヤン・コマサ監督の「聖なる犯罪者」のあらすじを読んで、これは自分向きの映画でぜひ観なければいけないと思った。実話ベースなところもポイントだ。今日、妻に「新宿に映画「聖なる犯罪者」を観に行ってくるから。」と言ったら強く反対された。「コロナが心配だし、雪が降るどうこう言われている時に、新宿に映画なんてやめなさいよ。」と。ぼくは必死に、説得した。映画館は今は客がそんなに密に入っておらず、ガラ空き状態であること。飲食店とは違って全員マスクをしていて、映画が始まっている時は誰もおしゃべりしていないから安全である事を強調した。映画に行く前に説得に疲れてしまった。まあ、なんとか許可してもらい武蔵野館で観て、満足して帰ったきたところだ。ダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニアの何をしでかすか、何を言うかわからないところが緊張感を持たせていい。ドラッグに溺れてハイになって踊っているときの瞳孔の開いた眼と表情に惹きつけられた。以前に観た、一兵卒が軍用車の中にみつけたナチ将校の軍服をみつけ、それを着たことにより将校になりすまし独裁者に変貌を遂げていく「ちいさな独裁者」という映画に似ていると思った。この映画も実際にあった事件を元にしていた。人間は着ているものや、環境が整うとつい、言動までその気になってしまうことが共通している。ダニエルの場合は、人を惹きつけるスピーチの素質が元々、備わっていたことが大きい。映画で彼のスピーチを聞いていると、声の良さや間の取り方、発言内容の説得力によりついつい教会に集まっている村人と同様にじっと聞き入ってしまうのだ。犯罪者が意外な職業に就いたという点では、これは1969年に神奈川県であった事件を思い出させた。高校生Aが、今までのいじめや「お前の顔は豚に似ている」と言われた事に腹を立て、男子生徒Bの首を切断した事件があった。その加害者Aは少年院を出所後に、進学し大学院を卒業しなんと弁護士になっていた。しかしこの事実を書いた本の出版により、その加害者は弁護士を廃業しその後の行方は不明となっている。彼は、今はどうしているのだろう。ところで、ポーランドではこのような司祭になりすますという事件が、めずらしくないと言う。脚本家のマテウシュ・パツェビチュはこのように語る。「「毎年こういう事件が起こりますが、神父などはみんなに尊敬される立場なので、居心地良く感じるのが最初のきっかけなのではと思います。もう一つは、ポーランド国内にはカトリックの信者が多いので、偽る人たち自身も熱狂的な信者が多い。なので、周りの人よりも神に近づいた感覚を味わえる。中毒症状に似ているのではないかと思います。3つ目の理由としては、バチカンとか世界中の教会でも同じような事件が起きているのですが、神父たちは警察のように身分証がありません。信者から身分証を見せてと言われるのは失礼なので、そういうこともなりすましが珍しくない理由にあると思います」」「聖なる犯罪者」は、自分の実の人生ではありえない他の何物かになってしまったという、ある意味、変身物語であることも、このての映画に惹きつけられる理由かもしれないと思った。 

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