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読後感 現代語訳「論語と算盤」渋沢栄一(口述)守屋 淳 (翻訳) 

2020年11月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 偉人伝を読むのは嫌いではないが、明治維新後に活躍した偉人で少し知っていると言えるのは、福沢諭吉先生くらいと言っても差し支えない。西郷隆盛とか東郷平八郎や乃木希典のような人たちは、丁髷に二本差しの武士として刷り込まれているので、どうも現代との関連性で薄い印象を禁じえない。従って渋沢栄一に関しても、明治初期に日本近代化に貢献した金融マン程度の認識でしかなかった。今回<現代語訳>のタイトルに惹かれて読んでみて、「近代日本設計者の一人」としての活躍と人となりについて随分と認識を新たにした。渋沢栄一は現在で言えば埼玉県深谷市の豪農に生まれて幼い頃から学問を良くしているので、著書が多くても不思議は無いが著書は意外に少ない。代わりにこのような口述本は多数出版されている。その中でも「論語と算盤」はかなり有名らしく、これをちくま新書が現代語訳として出版したのは2010年。購入した20年11月には既に44版になっているから相当なベストセラーと言える。新書判だからボリュームは大したことは無いが、内容的には非常に読み応えがある。渋沢は、自分の人生を次のように語っている。「はじめに卵だったカイコが、あたかも脱皮と活動休止期4度も繰り返し、それから繭になって蛾になり、再び卵を産み落とすようなありさまで、24,5年間に、ちょうど4回ばかり変化しています。」彼は豪農の息子ながら書を学び、剣を修行して武士を志して、京都で勤王の志士として活動し始める。しかし後に幕府側徳川慶喜の水戸家に鞍替えをし、維新末期に将軍慶喜の弟・徳川昭武に随行してフランス政府の招待で渡欧、途中で日本は天下がひっくり返ってしまうが、帰国した時は新政権が誕生していた。そして新政権からの誘いで大蔵官僚に就任するが、数年にして官僚職だけでは日本の近代化が難しかろうと、民間に転じて官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(後の第一銀行、現在のみずほ銀行)頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。そして多種多様な企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。「天は自ら助くる者を助く」とはよく聞くが、典型のような人物だ。しかし感心したのは渋沢は宗教的な意味で「天」を考えていなかったこと。論語の作者の孔子と釈迦とかイエスの違いは奇跡を起こしたとされるか否かにありと断じている。その意味で彼は非常に合理的でもあったのだろう。しかしなまじな宗教者以上に道徳を尊重していた。道徳の基本は「思いやり」にあるらしい。大変迷信深い自分としては、そろそろ来年版高島易断の暦でも買おうかと思っていたが、本書を読んで買わないことにした。渋沢は偉業を成し遂げ92歳の長寿で往ったそうたが、残した子供は30人以上、最後の子は彼が80歳を超えてからできたそうだが、これもとても真似の出来ない偉業と言える。

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