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たかが一人、されど一人

政治家の討論 

2020年09月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 何故かなかなか決まらなかった臨時国会の開催予定がやっと報道された。それも来月23日か26日とのことで未だはっきりしないが、未だ約1ヶ月も先のことのようだ。新首相の所信表明演説を聞きたいと期待している人も少なかろうからどうでも良いのかもしれぬ。今日はアメリカの大統領候補の第1回テレビ討論会が日本時間の午前10時から始まった。暇人の常で野次馬根性でテレビのスイッチを入れたが、討論と言うよりまるでガキの口喧嘩のような感じは伝わってくるが早口過ぎて通訳すら追いつけていたのかどうか分からないが、司会者が苦労していたことだけは理解できた。、どちらに軍配を上げるべきかなんてことにはならないので、結局15分の辛抱でテレビを切ってしまった。夕方の情報番組がどんな紹介をするか楽しみといえば楽しみ。唯一思ったのは日本の国会質疑応答と或いはテレビ討論でもいいが、日本とアメリカの政治家の討論の違いだ。彼の国では政治家に限らず子供の頃からディベートなる討論技術を学習するようになっているらしい。相手の意見を聞き、限られた時間内でそれに対する反論をする技術らしいが、今日のテレビ討論は明らかにそのルールを逸脱していたかもしれぬ。しかし用意したであろう原稿を見る暇もなく機関銃のように言葉を吐き出すのは大変なことだ。何を言っているかよく分からないが、司会者が提示する質問に対して即座に現状認識と自分の考えを述べ、尚且うまいこと相手の考えを牽制しなければならない。観た感じだけだが、双方とも勢い余ってとつい、といった風情が濃厚だった。テーマは予め分かっているか、或いは容易に想像できるので、基本的な数字なんかは頭に入っているだろうが、相手の言いそうなこともインプットしておかないと瞬時には反論できないだろう。日本の国会もぜひこの調子でやってもらいたいものだが、小中学校の学芸会を観ているような台本通りに進行することになっている質疑応答にどんな意味があるというのだろう?我が国では常套句になっている「質問通告がありませんでしたので返事ができません。」とか「事前の理事会での協議の結果、残念ながら資料の提出ができません。」とか「後刻協議会で競技します。」なんてことは外国でも当たり前のことなのだろうか?政治家は言語を以って戦ってナンボの筈。その意味で今日のアメリカのテレビ討論会は英語を解する人に取って見応えがあったに違いない。

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