メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

保科正之とは 

2011年08月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「保科正之」とは?。最近、俄かに注目されてきた。

「保科正之」は「徳川2代将軍秀忠」の隠し子として
生まれた。只今NHK『江』で、向井理演じる「秀忠」だが、
乳母の侍女に手をつけて、生ませた子がいたのだ。

「秀忠」の正室「お江与」は嫉妬深く「秀忠」は
恐妻家だった?。それで、生まれた子は、秘かに
信州高遠の保科正光の養子に出されていたのだ。

やがて「江」も「秀忠」も亡くなって、3代将軍
「家光」の代となる。「家光」はある時、腹違いの
弟が居ると知って、兄弟の対面となる。

「家光」には、同母弟の「忠長」がいた。「江」は
弟の「忠長」を可愛がり、3代将軍は「忠長」かと
誰もが思っていたところ、「家光」の乳母「春日局」が
家康に訴え出て「家光」が3代将軍となった。

そのような経緯から「家光」は同母弟の「忠長」を嫌い、
自分と同じく、親の愛を知らず育った「保科正之」に
兄弟愛を感じた。

「保科家」は、元は武田の家臣で、2万石程度の小大名
だったが、「家光」は「保科正之」を 会津23万石の
大大名に抜擢するのである。会津は、米沢の上杉、
仙台の伊達など戦国大名を抑える北の護りとして、
弟の「正之」を会津23万石の太守に任じたのである。

そして、家光は後事を「正之」に託し、4代家綱の
後見人として「保科正之」は、幕藩体制を確立した。
その「名君」しての働きは、最近NHKやTBS
でも特別番組で取り上げられた。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ