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戦後目撃史(その2)。空腹腹ペコの子ども時代、在日朝鮮人の子への差別、そして・・・。 

2020年08月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

   暑苦しい日が、続いていますが、
    このブログでも、
   暑苦しい私なりの戦後目撃史
     第2弾をお送りします。

いつも食べるものが無く、
空腹・腹ペコの子ども時代で、
小学校入学して嬉しかったのは、
お昼の給食が楽しみで、
   その為に、学校へ通ったようなものです。
ただ給食の時間に、
朝鮮人の子が、学校のグラウンドをうろうろ歩いていたのを、
  教室の窓から見て、
 可哀そうやなぁ、と思って見ていました。
当時は、
在日朝鮮人の子は、
   無視されたようなことだったのでしょうか?!

家では、
病気がちの父親の口癖は、
    「滋養が欲しい!」でした。
子どもの私もいつも空腹で、
  私も、近くの畑に入り込んでは、作物をチョロマカし、
     畑のおじさんから追い立てられました。
       
小学校2年の昭和27年に、
ラジオ放送「君の名は」が始まり、
戦争で離ればなれになった男女が、
  戦後再会して、愛を育むというドラマで、
おませな私は、他に楽しみが無かったこともあって、
  ラジオにしがみついて聴いてました。
君の名はと、という歌も覚え、
岸恵子・佐田啓二、
そして真知子まきも、白黒映画も見て覚えました。
     (以下、次号以下に続けます。)
    脳内編集会議で、さらに纏めます。。m(__)m

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