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ドモドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモドモ

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2020年06月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


古本屋で 初動的に買った本 (-"-;A ...アセアセ どうも リッチーが絡むと つい財布のひもが緩むな〜〜 パープル レインボーがらみの詐欺師に気を付けないと (-"-;A ...アセアセ  しかしま〜〜〜 奇妙な記事があったな〜〜 70年代以降のロックについて 色々と 事の発端は 72年夏 アメリカの大手レコード会社の重役会議にさかのぼり ジョンレノン ジョンボーナムの悲しい話が ロックの終焉であり 変わって ロックとは名ばかりの産業音楽がうじゃうじゃと NWOBHMなる 1980年代初期のムーブメントにしても 結局 ビジネス の渦に飲まれこんで 生き残ったんバンドはごくわずか 今では バンドといえばギターソロもキーボ-ドソロもなく ただボーカルが ラブソング歌って 終わりっていうお決まりのパターンで結局50年代から 60年代初期の音楽そのまんまだしね ぶらももはやロックには絶望してるし 結局 レインボーとホワイトスネークが最後って事かな レインボーの初来日はほんと壮絶だった 最後の灯かも 本来であれば 不謹慎かもしれないけど 70年代のロックは お客とバンドが一体になって騒ぎ 時には 椅子を壊すわ乱闘が起きるわ  客席が破壊されるなんてざらの 時代だったし レインボーの初来日の時は 将棋倒し スカート ハイヒールをなくした女性が 警備室に駆け込むなんて事もあったし 女性がお目当てのミュージシャンに会いたくて 楽屋に忍び込こんで追い出されたって話もあるし  今の時代では考えられない危険な行為だし ウッドストックの映像では 大麻の回し飲みする お客の映像が出るわ オルタモントでは ローリングストンズの警備やっていた ヘルスエンジェルどもが とんでもないことやるわ 凄い時代だったけど 1978年を境に規制の網が張られ 今では スーツ姿の社会人 カジュアルなカップルがお行儀よく座ってみてる時代だしね いいのか悪いのか わからないけど ただ 音楽の質というより ビジネス最優先にされ 歌詞が規制され 長い曲は敬遠され ギターソロ キーボードソロも抑圧されてる時代だしね 一つのバンドがツアーするためには 莫大な経費がかかるのは理解できる 輸送費が半端じゃない 分岐点となるのは 73年のオイルショックで 機材を大量に使う プログレバンド は大打撃を受けることになる YES ELP GENSISはライブをすればするほど 赤字になるといった悪循環をたどる羽目になったし  76年までにほとんどのプログレバンドが 解散することになってしまったし 74年から77年にかけて バンド関係者が薬物で逮捕される事件が国内外で異様に 勃発し まるで 業界の大掃除に思える事態だし これで60年代から活躍した古参のバンドは ほぼ壊滅し まるで80年代音楽産業の準備のようだった で 話は戻るけど 70年代ロックの黄金期は どこから 始まったといえば ザバーズのデビュー 1960年代後半に出たバンドで 当時のロック地図をすべて塗り替え 3分で終わるシングル曲でなく 本格的なアーテイストのための曲 悪い言い方をすれば おタッキーが求める 泣いて喜ぶ曲を6分から10分 平然と演奏して シングルよりも トータルアルバムで勝負する姿勢を示したもの あの後 アニマルズ ドアーズ ヴぁ二ラファッジ クリーム  ジミヘンドリックス ジャニスジョップリンが 出現し 黄金期を迎える ジミとジャニスの死が1970年に訪れたが 二人のトラの皮が 70年代ロックの黄金期を迎える LEDZEPPLINが牽引したといってもいい   74年までは間違いなく黄金期だった  他にも デイープ パープル ブラックサバス  ユーライアヒープ ウイシュボーンアッシュ マウンテン がいた 76年から傾き始め 78年にはロックはほぼ死に絶えたといっても過言ではない  曲において ギターソロ キーボードソロは決して必要ではない 曲がソロを要求するかしないかの単純な問題です 70年代ロックの 一番の利点であり欠点であるのがソロなんですよね 自己満足 自己主張を盛り込んだ長いソロと バッハやモーツアルトのフレーズを盛り込んだり 童謡やCMソングのフレーズを取り混ぜたソロでは曲の違いが出る 要は 聞き手の受け止め方だけど 基本的には自己主張や自己満足を 素直に受け止めるかどうかですよね ぶら自身 保育園の頃に 園内ではバッハを毎日聞いて 外に出れば ヴァニラファッジ ジミヘンドリックス デイープパープルを知らない間に聞いて テレビで見た(ジミヘンだと思うけど)白いストラトキャスターがあまりにもまぶしく かっこよくて 欲しいと思ったしね やがて10歳になり デイープパープル ライブインジャパンを聞いて 一気にロックに走り 14歳の時 レインボーの虹をかける覇者を聞いて バンドを組む決心をして 現在に いたり 生涯独身の道をたどってしまったけど 後悔してないしね さてと 話は戻って この自己主張 自己満足が70年代バンドを首を絞めたことは確か 変に演奏力に物を言わせすぎたところがあり過ぎじゃないかな 変に熱くなりすぎたり ここなんだよね 創造性 新しいものを作り上げる事は 至難の業って事はよくわかるし 演奏の名手になるためには 大変な努力が必要で 何かを捨てないとできないことだし ミュージシャンの中には  親兄弟  結婚破棄 恋人を捨てたって いうの確かにいたしね ぶら自身もかなり捨ててるしね 代償として  ミニマム(清貧)生活してるしね 余生も寿命もない人生になってしまったけどね 時には ジョークも必要なんですよね  ぶらも演奏中 ジョークでハクション大魔王のイントロ 弾いたこともあるし 3分クッキング キューテイハニー 魔女っ子メグ ジングルベル 草競馬 まで弾いたけど そういうジョークも時には必要なのね  そういうとこがあまりにも欠け過ぎたんじゃないかな、、熱い演奏は 好きだけど 度が過ぎれば人は引いてしまうしね ぶらは喜ぶけど 今のロックは 規制だらけで がんじがらめで 契約 で動いて 現金回収車に なり果ててしまったけどね 今のバンドに必要なのは まず規制の枠から外れ  自由になる事かな チャーと奥田民生さんはそれができた人だけどね ロックが一番 熱かった時代 若い世代に体験してほしいな だって音楽らしい音楽だもん 枠にとらわれず 自由な音ですから    

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