メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

政治問題 

2020年05月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨日、政治問題として黒川東京高検検事長問題に触れた。今日改めてマスコミ報道に頼らざるを得ない市井の1人として、問題の見方が皮相であったことを痛感、反省したい。これまで国民の声を全く無視し続けてきた首相が、しおらしく「国民の意向には逆らえない」とした理由が、黒川氏本人のスキャンダル発覚にあったとは驚いた。傷がいっぱいのスネを心配するどころではあるまい。足元に油を撒かれて火を持った人間が傍らに立つような恐怖を覚えた(ている)ことだろう。自業自得だから当然だ。話が逸れるが、文藝春秋と言う出版社も少し風変わりな会社だ。どちらかと言えば保守系右寄りだから自民党には近くても良いはずだが、時の総理大臣田中角栄氏降板の原因を作ったりしてきた。今日発売される週刊誌の放ったスキャンダル暴露がどのような道筋を辿るかは分からないが、黒川氏が辞任することまでは明確になった。現在続いている世界的混乱のマスコミ報道で何となく分かりかけてきたことがある。世界各国共通かもしれぬが、国民から見て指導層が確認している情報は、彼らが敢えて一次情報だからと隠蔽しなくても分かりにくい。逆に指導層が確認している国民の実態は、どの面で切り取っても現実を理解するには難しい数字の世界だ。これは上下に通じる情報経路の整備問題と、時間差問題に原因があるのだろう。このギャップの中和剤的な役割を演じるのがマスコミの役目で、国民の側からすれば「第4の権力」なんて持て囃し、権力側からも麻雀の相手ばかりでなく走り使いとしても重宝する結果になっていると思う。走り使いと言えば権力者側には「秘書」が存在するが、これも国民側から見えにくい存在で、彼らの役割も非常に大きい筈。安倍首相閣下なんかは政策立案や意思決定そのものを秘書に依存している、と言われるほどだ。些か中途半端と自分でも思っているが、実は今日の午後友人と会う約束があるので今昼前に書いている。本当に書きたかったことの前書きに過ぎぬが、それは明日にしたい。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ