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三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜 

2020年03月29日 ナビトモブログ記事
テーマ:ドキュメンタリー

映画ファンの皆様、今日は〜!

今日の映画紹介は上映中の
『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』。

稀代のスーパースター三島由紀夫と、
反逆のエリート東大全共闘のスリリングな直接対決 
伝説の討論会の全貌を明かす。
衝撃のドキュメンタリー!!

TBSが保管していたフィルムの原盤を修復して再構成。

全共闘の当時の関係者や三島を案じて別室に控えていた
盾の会のメンバー、現代の文学者、ジャーナリストなどの
証言を交えて「政治の季節」と言われた、当時の背景を
「50年目の真実」として分析して製作。

三島由紀夫著の「葉隠入門」を座右の本としている
私にとっては見逃せない映画です。

キャッチフレーズは”圧倒的 熱量を、体感”。

舞台は1969年(昭和44年)5月13日、
東京大学駒場キャンパス900番教室(現・講堂)。

1000人を超える学生たちが集まり、
三島を今か今かと待ち受けていた。

世界各国が政治の季節に突入していた時代。
日本でも自分たちの手で国を変えようとする
学生運動が激化していた。

思想的に水と油の三島と学生。
”三島を論破して立ち往生させ、
舞台の上で切腹させる”と、息巻く彼等の陣地へ
単身、その場所へ乗り込む三島。

この頃の三島はノーベル文学賞の候補にもあがった
世界的な文豪であると同時に、俳優、映画監督、
舞台演出家としても活躍する稀代の逸材だった。

一方で、肉体を鍛え上げ《楯の会》を率いる
天皇主義者としても知られていた。

アクション映画大好きな私ですが、
この様な”言葉の銃”で撃ち合い、
”論理の剣”で斬り合うアクションも又、一興!

特に、全共闘きっての論客として知られる
芥正彦が赤ん坊の娘を抱いて登場して来て、
三島と丁々発止と激論するシーンは
肉体のアクションならぬ、言葉のアクションは迫力満点。

もっとも、私にとって議論の内容が哲学的で、
難解な言葉が飛び交うので、あまり理解できなかったが。

たとえば、三島が目の前の木製の机をさして言う。
”机は授業のためにあるが、バリケードの材料にもなる。
生産関係から切り離されて、
戦闘目的に使われているということだ。
しかしそれは諸君が生産関係から
切り離されているからではないか。
それが諸君の暴力の根源ではないのか”。

これに対して芥は切り返す。
”大学の形態の中では机は机だけど、
大学が解体されれば定義は変わる。
この関係の逆転に革命が生まれるんだ!”。

皆さん、このやりとりは判りますか?
机が、解釈次第で机ではない意味を持つ?

さて、真剣勝負の討論アクションによる
死闘の行方は…?

このような文武両道の三島が翌年、市ヶ谷の自衛隊に
突入し、自決したのは何故でしょうか?

彼は「葉隠」の中で、言っていますね。
「二つ二つの場にて、
 早く死ぬ方に片付くばかりなり。」の
定朝の言葉に対して、

「さて、死がやってきたとき、行動家と芸術家にとって、
どちらが完成感が強烈であろうか?
私は想像するのに、ただ一点を添加することによって
瞬時にその世界を完成する死の方が、
ずっと完成感は強烈であるまいか?」と述べている
フレーズに彼の死に対する考えがあるように思います。

彼は「サムライ」として、多くの若者が戦死した中で
自分だけは戦場にも行かず、生き残ったという慙愧の念に
駆られて、死に場所を探していたのではないかと、
映画を観ながら思ったことでした。



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