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日本書紀巻11〜13(仁徳〜安康天皇) 

2020年03月21日 外部ブログ記事
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中国の歴史書に記された倭国の王

 ☆倭の5人の王が中国の南朝に使者を派遣した
 *その王の名が中国『宋書』倭国伝に記載されている
 ☆中国の冊封(さくほう)体制とは
 *朝貢してくる首長に対し、「天子」が官号や爵位を与え君臣関係を結ぶこと
 *「天子」は中国の皇帝を指し、中国王朝の冊封下に入る
 *国内や朝鮮半島で自分たちの権力を誇示することができた

『日本書紀』の記述より「倭の五王」の正体を探る
 ☆中国の史書『宋書』や『梁書(りょう)」に記されている倭国の王
 *讃・珍・済・興・武が中国の南朝に使者を派遣した
 ☆日本の正史『日本書紀」には記されていない
 ☆倭の五王が誰か、『日本書紀』から推測することができる
 *可能性が高いのは『武=雄略天皇』
 *「武=雄略天皇」と仮定すると「興」は雄略天皇の兄、安康天皇
 *「武=雄略天皇」と仮定すると「済」は安康・雄略天皇の父允恭天皇
 *「讃」と「珍」は「日本書紀」と「宋書」の辻褄会わず正体不明
倭の王が遣使を派遣した背景
 ☆倭は鉄資源確保の為半島へ進出した
 ☆朝鮮では、3国の一つ高句麗が力をつけ、半島南部に進出する
 ☆倭と高句麗は何度か激突したが状況の打開には至らず
 ☆倭国は、中国王朝の冊封下に入る
 *半島における利権を認めてもらおうとした
 *倭国側が望んでいたような成果は得られず
 ☆遣使は打ち切られ、中国王朝との外交関係も遮断された
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』




















日本書紀巻11〜13(仁徳〜安康天皇)
(『『日本書紀』と天皇126代』より画像引用)

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